気を使っているように見えない自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ障害-自由連想法による自己分析・治療 目次:
自由連想法による自己分析のきっかけとなった言葉・態度
・マイペース
・非共感的な笑い
自由連想法による自己分析・自己治療
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察
・無意識に気を使っている自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)
・自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の他者評価への恐怖心
・回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の対人恐怖症を強める周囲の人のKY的な反応
自由連想法による自己分析のきっかけとなった言葉・態度:
マイペース
札幌のレストランのやで食事をした後に親友Wに言われた言葉「相変わらずマイペースだよね」。
このときは3人で食事をしたのですが、私としてはその親友の好きな話題に触れるなどしてそれなりに気を使っていたつもりでした。そのため帰り際に「相変わらずマイペース」と言われたことはまったく意外なことでした。
その親友がマイペースを肯定的な意味で使ったのか、それとも否定的な意味で使ったのかははっきりしませんが、少なくてもそのときの私は「自分が気を使っていた」と思っていただけに否定的に受け取りショックを受けたことは間違いありません。
非共感的な笑い
その後(否定的な意味で)マイペースと言われた原因が何かないかと自己分析してみたところ、もう一人の親友Fとの会話が思い出されました。それは次のような会話でした。
町田町蔵(現在は町田康と改名)の小説の話題になる。
F「面白いけど失業中のときとかは読まない方がいいよ。刹那的だから余計に落ち込みそうだし。」
私(笑い)
これがなぜ「マイペースと言われた原因」ではないかといいますと、その前にWが失業中という話をしていたためです。ですから私が笑ったことはWにとって決していい気はしなかったはずです。
しかし今考えても、なぜあのとき自分が笑ってしまったのか、何がそんなにおかしかったのか皆目見当がつきません…
ただ私はときどき意味もなく、しかもその場にそぐわないタイミングで笑ってしまうことがあり気になってはいましたので、この機会に自由連想法で自己分析してみることにしました。
自由連想法による自己分析・自己治療:
ん? 私にも非があるのは確かだが、話題を持ち出したFに問題はないのか?
(Fの話し方を思い浮かべる)
微かだが笑いながら話をしていた
そうか、自分は相手に調子を合わせるために笑ったのか、しかも無意識に
Fはなぜ笑いながら話をしたのだろう?
場の雰囲気が深刻にならないようにするためだ
お互い久しぶりに会ったのだから、場を楽しくしようと気遣うのは当たり前か
笑っていたのが自分だけではないとすると、Wの「相変わらずマイペース」はどういう意味だったのだろう?
そういえば彼も笑いながら話していた
(その直前の会話を思い出す)
久しぶりに会っても私が全然変わっておらず、また「もし全然変わっていたらどうしよう」と不安だったとFが話していた
あぁ、Wもやはり調子を合わせていったのか
その意味では3人とも同罪か
しかしWにマイペースだと思われていたとは意外だった
というよりもWの方が私よりもよっぽどマイペースだと思っていた
だから怒りもあったのかな「お前に言われたくない」と
たしかにマイペースだと思っている人に「マイペースだ」と言われると腹が立つ
その人以上にマイペースな人間だということになってしまうから
いや自分にとってはマイペースという言葉自体がすでに否定的に感じられる
(マイペースから連想)
自分勝手、気を使わない、自己中、わがまま…
たしかに否定的な意味ばかりだ…
なるほど、私にとってマイペースは禁句なわけだ
それをWに言われたものだからショックを受けたのか
自分が自分勝手、気を使わない、自己中、わがままな人間だと言われたに等しいのだから
それは面白くないはずだ、内心腹わたが煮えくり返るはずだ
私にとってマイペースと言われることは、それほど辛い体験なのか…
しかし気を使わない、いや上手く気を使えないのは事実だ
会社の飲み会や法事の席でお酌をしなかったの事実だし
正直、面倒くさいと思う…
いや自分がそんな慣れないことしても、かえって迷惑のような気がする
それを卒なく難なくこなせる弟が羨ましい…
そうか、自分は苦手でかえって迷惑だからと敬遠することが、周囲の人からは気を使うことを知らない自己中心的な人間だと思われるのか…
しかしこれを言ったところで、やはり他人の評価は変わらないような気がする
事実、母親に言っても「言い訳」としか受け取られなかったので
それぐらいの気を使って、あるいは気を使えて当たり前ということなのだろう
要するに常識のない人間な訳だ
しかし「気を使う必要などない」と思っているわけでは決してない
むしろ上手く気を使えないことで気まずい思いをし、精神的苦痛を感じているのだが…
その苦しみが普通に気を使える人には、なかなか理解してもらえないようだ
でも自分が「気を使わない」のではなく「上手く気を使えない」ことで辛い思いをしていることだけはよく分かった
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
自由連想法による自己分析・自己治療から次のような自己洞察を得ました。
無意識に気を使っている自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)
自由連想法の前半では、三人ともが半ば無意識的に相手に調子を合わせる、言葉を変えれば気を使っていることが洞察されました。
そして親友の二人も私と同様に自己愛の強い、つまり自己愛性パーソナリティ的な性格のように感じられることから察するに、次のようなことがいえると思われます。
自己愛の強い性格(自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ)の人は決して気を使わないのではなく、その人なりに気を使っているにもかかわらず、その気の使い方が周囲の人から見れば気を使っていないように見える、つまり気の使い方が非適応的(=非共感的)なのではないかと考えられます。
自己愛性パーソナリティ・回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の他者評価への恐怖心
さらに自由連想法の後半では「上手く気を使えないことで気まずい思いをし、精神的苦痛を感じている」様が洞察されています。
この精神的苦痛の内容は自由連想法には表れていませんが、具体的には表面的な恥ずかしさや惨めさと、より深層にある気を使えない人間だと思われる(評価される)ことへの恐怖心です。
精神分析の知見によれば自己愛性パーソナリティや回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の人の重要な関心事は「自分が他人からどう思われているか」という他者評価とされています。
一般的に自己愛の強いは「自分のことばかり考え他人に無関心」だと思われがちですが、実際のところは他者評価に一喜一憂といえるほど振り回されていると考えられます。
したがって特に自己愛性パーソナリティ障害の人に対して感じられる「他人に無関心」な印象は、ネガティブな他者評価への恐怖心が非常に強いために否認などの防衛機制が働いていることの影響なのではないかと推測されます。
回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の対人恐怖症を強める周囲の人のKY的な反応
回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の人の場合、上述の自己愛性パーソナリティ(俗に誇大型自己愛性パーソナリティ・無関心型自己愛性パーソナリティ)の人ほどには否認などの躁的な防衛機制に依存していません。
そのため他者評価による自尊心など自己愛の傷つきをまともに自覚することとなり、このことが回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)の人に対人恐怖症的な症状を引き起こすと考えられます。
また私自身も幾度も体験したことですが、回避性パーソナリティ(抑うつ型自己愛性パーソナリティ)をはじめとした自己愛の強い人の意識的・無意識的な気遣いは、しばしば(非共感的であるがゆえに)場の空気を読めない(いわゆるKYな)人という反応を周囲の人に生じさせますが、このような周囲の人の反応は恥をかくことを極端に恐れる自己愛的な人にとって大変な精神的苦痛をもたらします。
このため、ますます人とのコミュニケーションが怖くなり、対人恐怖症的な引き篭もり(回避)傾向が強まってしまうのではないかと思われます。
気遣い・気配りの仕方 解説本
自己愛性パーソナリティ障害 治療・診断ガイド
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