連想内容(重要な連想のみ):
・H君とN君に頭を叩かれ続けた
・わざと倒れて怪我をしたように見せかけるのは…空想?
・椅子を引かれても後ろに転ばなかった
・何かしようとして、ちょうどタイミングがあったから踏み止まった
・相当頭に来て殴り返そうと思って、立つために足を踏んばったから転ばなかったんだ
・椅子を引かれなかったら、ホントに殴っていたかもしれない
・椅子を引いてくれ彼等に感謝しなければならない
自由連想法による自己分析からの洞察:
中学のときのいじめ?
この連想は中学の時に、いきなり理由もなく頭を叩かれ続けた時の場面の回想です。当時彼等にいじめられていたということはありませんでしたし、むしろ仲が良い方でした。それだけに、なぜあのようなことをされたのか未だに理由が分かりません。
今回の自由連想法では、この体験の中の忘れられていた記憶が蘇りました。それが「相当頭に来て殴り返そうと思って、立つために足を踏んばった」の部分です。
そして、この記憶の想起によって、自分が他人に暴力を振るう一歩手前まできていたことが恐くなり、彼等への感謝の気持ちが芽生えたのでした。
自分の攻撃性への恐れ
しかし後から気付いたのですが、椅子をいきなり引いた友人に対して感謝するなんて、ずいぶんと「おめでたい」性格です。
この性格は「自分の攻撃性への強い恐れ」があることを示しているように思えます。この攻撃性への恐れは人間関係にも現れていて、相手を傷つけてしまうことを恐れるあまり、自己主張したり叱ったりすることが今でもとても苦手です。
そんな苦痛を味わうぐらいなら自分が我慢すればいいと思い怒りを押し込め、やがてその怒りを空想上で発散するのです…
これまで回想内容の一部が忘却されてきたのは、おそらく自分の中に抑え切れないほどの攻撃性があることに耐えられなかったからであり、また今回その攻撃性を想起することができたのは、今は自分の心に攻撃的な感情があることに、以前よりは耐えられるようになってきているからなのでしょう。