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同情され惨めになりたくない-自由連想法による自己分析31回目

自由連想法の内容(重要な連想のみ):

情けをかけられたくない 余計に惨めになる
だからK先生と話をしなかった 同情されたくなかった
自分が「他人の助けがないと生きていけない人間」だと思われることに耐えられない

自由連想法による自己分析からの洞察:

同情を求めるのは愚かな行為

これは産業カウンセラーの実技試験終了直後の出来事の回想です。上手くカウンセラー役をできず「確実に落ちた*」と思い落ち込んで試験会場を後にしようとしていたとき、入口で偶然養成講座の講師の方にお会いしました。しかし私は一礼しただけで何も言葉を交わすことなく会場を後にしました。
このときは何となく「落ち込んだ状態をじっくり噛み締めたい」気持ちが働いたため、もしK先生に「全然駄目でした」と話して慰めの言葉をかけていただいては、せっかくの落ち込んでいる気持ちが発散されてしまい、これでは現実の辛い出来事を否認する躁的防衛に過ぎない!と思えたのです。
つまり辛いからといって他人に同情を求めるのは現実否認に等しい愚かなことであり、カウンセラーたるもの常に現実を直視しなければならないと考えたのです。
*実際には(今でも信じられないのですが)合格し、晴れて産業カウンセラーになることができました♪

同情され惨めになりたくない

しかし自由連想法により改めて試験当時の気持ちを感じてみると、そこには「落ち込んだ状態をじっくり噛み締めたい」気持ちとは別の気持ちもあったことに気づきました。それは惨めさです。
私はK先生に慰めの言葉をかけられ同情されることで惨めになりたくなかったのでした。自分が他人の助けがないと生きていけない弱い人間だと思われることに耐えられなかったのです。

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