自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):
いきなり椅子を引かれたら、腰や下手をすれば頭を打っていたかもしれない 床は硬いコンクリート!
その後に「わざと倒れて大怪我をしたように見せかけ、奴らを退学にしてやれば良かった」と空想
「自分の怒りへの恐れ」から抑圧されていた
悪い奴らに目に見える形の罪を着せて「確実に」牢屋にぶち込む
私は知能犯 決してミスは犯さない 相手に罪を着せるが勝ち
社会的制裁を加える→これは社会正義 正しいこと
大怪我をした様子を見せて、相手に死ぬほど罪悪感や恐怖を植え付けたい
自由連想法による自己分析からの洞察:
これは自分の攻撃性への恐れ-自由連想法による自己分析3回目でも想起された中学生のときの記憶です。このときの自己分析では自分の攻撃性に対して恐れを抱いていたことが洞察されましたが、今回の自己分析では更なる洞察がありました。
大怪我をした振りで、いじめに復讐
当時の私は叩かれ続ける いじめを受けた後、その いじめ の体験を何度も思い出していたのですが、その際「あのまま後ろに転んで大怪我をした振りをして救急車で運ばれれば、奴らを確実に退学に追い込める。特にHは高専に推薦入学が決まっていたがそれも駄目になる。ざまあみろ。」と盛んに空想していたことも思い出しました。
私は空想上で「肉を切らせて骨を断つ」ことで相手に罪悪感を与え人生を滅茶苦茶にしてやることによって、いじめた奴らへの復讐を果たそうと目論んでいたのです。
社会正義だと思えないと怒りを感じることができない強迫性人格
また私は自由連想法の中でこのような いじめへの復讐を社会的制裁、つまり社会正義に基づいた正しい行いだと思うことで自分の行為を正当化しています。
これは見方を変えれば、それが社会正義だと思えることではじめて怒りを感じることが許されると考えていることを示しています。このように自分の怒りを認めることが大変難しい性格は強迫性人格(強迫性パーソナリティ)と呼ばれます。
私は自分の怒りを認めることが難しいことに加え、さまざまな強迫思考にも縛られていますので、かなり強迫性人格の傾向の強い性格だと思います。
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