自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):
寒い雪の夜、(確か、いつまでも寝ないでベッドの上で遊んでいたことについて)父親に「出て行け、もう帰って来なくていい、お前なんかウチの子じゃない」と言われ本気で、意地でも、出て行こうとした
母親の慰め「出て行かなくていいのよ、パパは本気で言ってるんじゃないんだから」
ホントに出て行くことで父親を裁こうとした、酷い奴に仕立て上げようとした
私なりの精一杯の「抗議」の示し方だった、自分の正しさを証明するために
実際に取り返しのつかないことにならないと父親の酷さを証明できないと思った
ここで許しを乞うては駄目だと思った、父親に自分のしていることの酷さを見せつけたかった
どうせ死ぬなら、死ぬ前に恨みを晴らしたい、一矢報いたい
自虐的な空想:相手の悪さが「証明」されることへの満足感
→神経症的に肥大→自虐的な態度・行動を抗議の手段に
自由連想法による自己分析からの洞察:
死をもって父親に復讐
これはベッドの上で箱庭療法のようにおもちゃを並べて遊び、いつまでも寝ようとしなかったことで父親の怒りを怒り買ったときの体験です。
これまでは当時の記憶を思い出すたびに「悲しみ」だけを感じていましたが、今回の自己分析で「自分が死ぬことで父親に一生消えない罪悪感を植え付けたい」「父親の酷さを白日の下に曝したい」という強烈な復讐心を抱いていたことを知りました。
このような恨みが高じて死をもってしても復讐したい心理に近い心理はいじめに社会正義で復讐する強迫性人格-自由連想法による自己分析33回目でも表れてきましたので、私の心に深く根ざしてた心理なのかもしれません。
恨みの遺書による自殺で、いじめの加害者復讐する心理
ところで私のように「自分の死をもってしても復讐したい心理」は、いじめを苦に自殺した方がしばしば残す いじめの加害者の名前を記した恨みの遺書と共通点があるように思えます。
通常、人は多少辛いことがあっても基本的に「生きていたい」と思い自殺など考えないものですが、いじめの被害者の方は生きていても感じられるのは「いじめ自体の辛さ」と「いじめに対して何もできないことへの惨めさ・無力さ」のような気がします。
そのため大幅に低下してしまった「生きたい」という生の欲求よりも復讐したい気持ちの方が強くなり、恨みの遺書を残して自殺という行為が選ばれてしまうのではないでしょうか。
あくまで私見ですが自己分析による洞察から、いじめの被害者の方々のご心境に対してこのような考えを持ちました。
※いじめについての考察部分は自己分析から誘発されたものであり、したがいましてこの解釈は「もし私が いじめの被害者となり、加害者の名前を書いた遺書を残すときはおそらく復讐からに違いない」と考えていることを示しているに過ぎず、客観的な事実を示すものではありません。
ですが、もしこのブログをお読みになられた いじめの被害者の方が不快な思いをされたのだとしましたらお詫びいたします。
いじめの被害者の方が書かれた遺書についての心理学的考察本・手記など