自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):
骨折を「単なる捻挫」と誤診されたため、痛みを訴えても「自分の方が悪い」と責められた!
「それぐらい我慢しなさい!」
まさしく「迫害」の状況だ!
→理由なく嫌な目に遭う(迫害される)空想
自由連想法による自己分析からの洞察:
小学2年のとき転倒した父親の下敷きなり2ヶ月間寝たきり生活を余儀なくされる骨折をしましたが、あいにく整骨院で「捻挫」と誤診されてしまいました。
いつまでも痛いと泣き叫ぶ私に対して両親は叩くことで黙らせようとしました。なぜなら大した痛みでもないはずなのに延々と泣き叫ぶ私は「堪え性のない自分勝手でわがままな子供」と見なされ、そのひねくれた根性を叩き直す必要があったからです。
特に加害者であるはずの父親の怒りは激しく、体ごと吹っ飛ばされるほど頭を叩かれたことを覚えています。
おそらく私に期待されていたのは骨折の痛みを我慢し大人しく良い子でいることで、その期待を裏切ったために当然の罰を受けたのでしょう。
服従するしかない
このときほど自分の無力さを思い知らされた出来事はありません。一方的な被害者であるにもかかわらず、むしろ私の方が悪いとされてしまう現実から、(親の)力や権力には決して適わないことを知らされ、また無力な自分はそのような相手に対しては、ただただ服従するしかないと思うに至りました。
いじめにも服従するしかない
その後複数の同級生からいじめに遭いましたが、どんなに危険なことをするように命令されても私は忠実に命令に従いました。
この いじめへの従順な態度にも、上述の「無力な自分は服従するしかない」という諦めや自暴自棄の信念が影響しているように思います。
服従の背後にある抗議心
また私はときどき腹が立つ相手に対して激しい憤りを感じていながらも、それでも「服従するしかない」と思い、内心はらわたが煮えくり返るような怒りを感じつつ相手の言いなりになるという奇妙な行動に出るときがあります。
今思えばこの奇妙な心理を通して、いまだに(無意識に)不当な扱いをした両親への抗議を繰り返しているような気がします。
服従の心理 分析本リスト