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自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

ピアノ前でのゲロ その吐いたゲロを自分のハンカチで懸命に拭いた
履いたゲロ(卵焼き)を苦痛に喘ぎながら食べた→残さず食べなさい!
M先生「もう捨てなさい」
ハンカチをなくしたことで母親に叱られる不安

自由連想法による自己分析からの洞察:

これは幼稚園のときの記憶です。入学早々に嘔吐恐怖症を発症した私は、昼休みはいつも一人ピアノの所で弁当を食べていました。なぜならこの幼稚園では「食事は残さず食べなければならない」という規則があったからです。
規則を守れないのだから罰を受けるのは当然と思いつつも、楽しそうに遊んでいる他の人たちが羨ましく思え、また他の人と同じにできない情けない自分を嫌悪していました。
そしてこのような状況と、力や権力には服従するしかない-自由連想法による自己分析56回目で洞察された絶対的服従の信念、および相手の言葉を文字どおりの意味で解釈-自由連想法による夢分析47回目で洞察された相手の言葉を文字通りの意味で受け取る信念とが結びついたとき悲劇は起こりました。
一度は吐いてしまった卵焼きを「残さず食べなければいけない」と言い聞かせ、吐いた物を必死に堪えて食べました。しかし二度目にはとうとう気持ち悪さに耐えられず、食べたものをすべて床にぶちまけてしまいました(今でも脳裏に、まだ消化されていないグリーンアスパラガスのイメージが焼きついています)。
私は惨めさに打ちのめされていました…あんなに無理して吐いた物を食べたのに、結局すべてまた吐き出してしまった…せっかくの努力がすべて水の泡と消えてしまった…
それからのことはあまりハッキリと覚えていませんが、吐いてしまったことでM先生に叱られる恐怖から、許しを請うために必死でハンカチで床を拭いたことと、そのハンカチを捨てるように言われた(=命令された)ことで今度は母親に叱られる恐怖を感じたことを覚えています。
良かれと思ってハンカチで床を拭いたことが、今度は別の災難を招いてしまう…
「世の中というものは何をやっても上手く行かないようにできている」そのように感じる出来事でした。

不幸な運命

私には何か「ついていない」ことがあると無意識に「自分は最初から不幸な人生を歩むことに決まっている」と思ったり、「神様が嫌がらせをしている」ところを空想したりする癖があります。
この不幸な人生を運命付けられているとの信念(悲観主義)と、上述の嘔吐恐怖症の体験とは何か関係があるような気がします。
「不幸な運命」の心理 分析本リスト

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