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分別のある上品な大人・敬語へのステイタス意識と否認-自由連想法による自己分析60回目

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

同僚の女性に対しても敬語 でも腹を立てていたわけではない それが格好いい
こだわり ステイタス 偉い 有能 仕事ができるポーズ 自尊心
品の良さ たとえ腹が立っていても敬語を使うことが相応しい
スマート 大人 成熟
怒りを露にする子供のような相手を見ることで「自分の方が分別のある大人」だと思える
入園時のネクタイ
「私は決して冷静さを失わない」それが大人
それを聞いて慌てさせようとするH君はガキ
自分の方が大人
エディプス葛藤 父親よりも自分の方が品が良い大人だ
ニートになっても慌てない、それが大人
父親への優越感
内心は恐くてたまらない
恐さを否認 本当は下らない奴なんだと思うことで

自由連想法による自己分析からの洞察:

下品な父親のようにならないための敬語

これまでの自己分析で「馬鹿丁寧な敬語を使うことで相手を激怒させる」傾向があることには気づいていました。
しかし馬鹿丁寧な敬語を使うことは、相手を軽蔑するための手段だけではなく、そのように軽蔑する相手のようにならないための防衛としても使われていたようです。
それは「下品極まりない(と思える)父親のようにはなりたくない」との信念から生まれたものでした。
そのため自分から一切の下品な要素を排除するために、ひたすら分別のある大人としてのステイタスを目指すことが(無意識の)人生の目標となりました。

幼稚園の頃から芽生えていたステイタス意識

このようなステイタス意識は少なくても幼稚園の頃にはすでに芽生えていたようです。それが自由連想法でも現れた、入園時に初めてネクタイを締めたことで分別のある大人の仲間入りを果たしたことでの自尊心の高まりです。

公認会計士への社会的ステイタス意識

それからというもの、若い頃の私はステイタス意識に凝り固まった人生を歩み続けました。その典型的な例が公認会計士を目指していた頃の心理状態に現れています。
当時の私は会社勤めをしながら簿記の勉強をしていたのですが、ゆくゆくは公認会計士の資格を取って外資系の公認会計事務所でバリバリ仕事をする自分を夢見て、そのために英会話の学校へも通っていました。
しかし実情は…この頃すでに公認会計士試験はレベルが上がり、合格者の大半を東大生が占めるようになっていましたが、対して私の学力は一浪しても大学に受からず短大卒…
英語についても大の苦手で中学・高校とよく赤点を取り、この頃社内で実施されたTOEICの試験でも私は最下位の成績でした…
それにもかかわらず私は同僚に「自分は外資系の公認会計事務所に入るんだ」と豪語し、実際に会社を辞めてその道を目指しました。

ステイタス意識を支えた否認

なぜこんな馬鹿げたことが起こり得たのでしょう? ここには(今から思えば)明らかに否認と呼ばれる防衛機制が働いています。
否認とは物事の中の都合の悪い側面をすべて無視することで、自分に都合よく物事を捉える心の防衛的な働きを指します。
上述の私の心理状態を例に取りますと(とても奇妙に思えるでしょうが)英語が苦手なことは理解しているのですが、そのことが意味すること、すなわち「英語が苦手なのに外資系の企業に入れるわけがない」ことが無視(否認)されています。
同様に公認会計士試験についても、東大卒が合格者の大変を占めるような非常に難しい試験であることや、自分の学力、簿記1級にも受からなかったこと、さらには暗記が苦手なことも重々承知してますが、そのことが意味する「公認会計士試験に合格するのは無理であろう」事実はほとんど意識されていませんでした。
結果は…4年間も頑張ったにもかかわらず一次試験にすら受からず、しかも受験ノイローゼ(具体的にはパニック障害嘔吐恐怖症失禁恐怖症など)というおまけ付き(T_T)
否認とはまったく不思議な心理作用です。物事をはっきりと自覚していながら、意味だけが無視されるのですから…
否認の心理を頻繁に用いることで私は社会的ステイタスを(幻想の中で)追い求め続け、それは精神障害でストップがかかるまで止まることはありませんでした…

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