自己分析のテーマとした思考:
昨日のタリーズでの出来事*への疑問
「自分が」というより単に「早く拭かなければ」と思っただけのように思えてきた。
だとすると、なぜ「自分が」と錯覚したのだろう?
*関連ブログ:傲慢の裏の恐怖心-自由連想による自己分析68回目
自由連想法による自己分析からの洞察:
償いの心理
母親から仕送りを受けていることを、心理カウンセラーとして一人前になり社会の役に立つことで恩返しとすることは躁的償い*に過ぎない。やはり母親に直接恩返しするべきではないか?
→この空想の影響を受けて「(自分が)拭くことで被害を与えてしまった相手の方に直接償わなければ」との心理が働いたのでは?
*躁的償いとは、本来償うべきものとは別の対象に償いを行うことで、代理的に償いの気持ちを満足させる心理をさします。
どちらも「自分が」を促してはいるが、仕送りの件は今直面している悩みだけに、こちらの影響の方がが遥かに大きい気がする。