幻聴がトラウマに…
統合失調症の幻聴*を疑似体験しようとの私の試みは最終的に現実感覚喪失**を生み出し、知人に助けを求めざるを得ない状況を招きました。
その際、危機に陥ったクライエントさんの心理的状況をリアルに体験したことで得られたことも大きかったのですが、大きな代償を払ったのも事実です。それはトラウマ(心的外傷)です。
*関連ブログ:
統合失調症の幻聴を疑似体験-自己分析75回目
統合失調症の幻覚・離人感を疑似体験-自己分析76回目
**関連ブログ:
現実感覚喪失に有効な傾聴-自己分析77回目
知人に助けられ何とか現実感覚を取り戻した日の夜、偶然テレビから一昨日体験したばかりの幻聴疑似体験に良く似た音が聞こえてきて、途端にそのときの恐怖が蘇りました(@o@;)
それは目が見えない人のための信号のメロディーでした。最初はのどかなメロディーが流れるのですが、黄信号になると一転して危険を知られるための不安を煽るような音に変化します。この音の変化が幻聴疑似体験時の音の変化とよく似ていたのです。
さらに翌日には大きな音に対してこれまで以上に過剰反応して恐怖を感じるようになっていました。
どうも1時間以上も(擬似的にとはいえ)幻聴を体験し続けたことで、そのときの恐怖が心の中に居座ってしまいトラウマあるいはPTSD(心的外傷後ストレス障害)のフラッシュバックのような悪作用を引き起こしているようです(@_@;)
疑似恐怖体験と心理療法による洞察の違い:
結局私のおこなった統合失調症の幻聴の疑似体験はいくつかの洞察は得たにせよ深刻なトラウマを作り出してしまいました…
今回の失敗から得られたことは「クライエントさんへの共感能力を高めるための疑似体験と心理療法による洞察との根本的な違い」です。
疑似的な恐怖体験による共感能力向上
疑似的な恐怖体験により共感能力を向上させる場合、その恐怖に無意識のレベルでも耐えられれば、すなわち意識的に耐えられるだけでなく苦痛を防衛機制によって無意識に押しやることもなければ、経験した恐怖に対する共感が容易になるかもしれません。
しかし私のように失敗してしまいますと深刻なトラウマになりかねません。
心理カウンセリングにおける洞察による共感能力向上
一方、共感能力の向上を心理カウンセリングによる洞察により得ようとした場合は、よほど迫害的・侵入的な心理カウンセリングを受けない限りは疑似恐怖体験のようなトラウマを生み出すことにはなりません。
なぜなら心理カウンセリングの洞察で浮かび上がってくる無意識の内容は、通常そのときのクライエントさんが受け止められる(=ショックに耐えられる)範囲に限られると考えられるからです。
ただし「この体験に共感したい」と狙い定めて洞察を得ることはほとんど不可能なため、すぐには望みどおりの共感能力は得られませんが…