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便利屋と欲求を満たすことへの罪悪感-自由連想法による自己分析79回目

スーパーバイザーとの心理カウンセリング*での洞察:

他人から都合良く利用される便利屋のような性格**
*関連ブログ:
現実感覚喪失に有効な傾聴-自己分析77回目

**関連ブログ:
便利屋の性格-夢分析による自己分析18回目

自由連想法により自己分析:

便利屋のような性格から、さらに自由連想法を行うことで自己分析してみました。

自由連想法の内容(重要な連想のみ)

過去の記憶:
印刷会社でグラフィックデザイナーをしていた頃、確か先輩に「このままだと他人にいいように利用されるだけだよ」と言われ、「他人の役に立つことの、どこがいけないのだろう?」と疑問に思ったこと。

自由連想法による自己分析からの洞察:

「他人から利用される」自覚の欠如

今思えば、当時の私には「他人から利用されている」という感覚がよく分からなかったようです。そして現在の私は…割に合わない仕事を頼まれた際、「割に合わない仕事への不満」は自覚できても、相手が自分のことを「二つ返事で何でも引き受けてくれる便利屋のような存在」だと思っているなどとは一度も考えたことがありませんでした。
しかしわざわざ忠告してくれる方がいるぐらいですから、実際に私の会社での(心理的な意味での)役割は便利屋に近いものだったのでしょう。

自分が相手のことを便利屋のように思っていることへの罪悪感

面白いことに私は逆の立場、つまり自分が相手のことを便利屋のように思っていることには敏感でした。例えば何か人に頼み事をしたときでも、後になって「自分の利益のために相手を利用するのは、きっと自分のことしか考えない自己中心的な性格だからに違いない」と大まじめで自己分析し罪悪感を感じていたのです。
しかし冷静に考えるとこの考えでは、どのような形であれ自分の欲求を満たすことになる頼み事はすべて自己中心的な行為となってしまいます。ちょっと考えれば分かりそうなことですが、それが私にはできなかったのです…
どうも私の心の中では極端にいえば、自己主張はおろか少しでも自分の利益になることはすべて「悪いこと」と考えられているようなのです(@_@;)
つい最近も「仏様のような人」と言われたことがありますが、おそらく仏様が意味することの何割かには「便利屋」の含みがあるのでしょう…

客の立場なら罪悪感を感じずにいられる

ただし、この「自分の欲求を満たすことが許される」、言葉を変えれば「罪悪感を感じることなく自分の欲求を満たせる」私なりの状況があります。それは客としてサービスの対価を払う立場にある場合です。お金を払うことではじめて、何ら罪悪感を感じることなく欲求を満たすことができるのです。
これまでの自己分析では、それなりに丁重に扱われ基本的に不快な目に遭わないことが、客の対場の居心地が良い理由だと考えていましたが、より重要なのは「目に見える形での対価を払うことで罪悪感を感じずに欲求を満たせる」ことだったようです。
知人のカウンセリングでの便利屋との指摘から、自分が途方もなく「お人好しで騙されやすい」人間に思えてきて、悔しいやら情けないやらの毎日です(T_T)

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