自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):
目つきが違う 神経質そうなときも顔は怒っている
探し物が見つからない時 イライラ
怒っているときと、神経質で強迫的になっているときとが「同じ表情」 区別が付かない
神経質で強迫的なときも腹を立てている その矛先が自分に向けられているように感じて恐くなる
せわしなくなるだけで不安を感じる 自分が機嫌を損ねてしまったことから罰を受ける恐怖
ビクビクしている 常に母親の様子(機嫌)を窺っている
何か嫌なことがあるとそれが全部自分のせいのような気がする
相手の表情がとても気になる
自由連想法による自己分析からの洞察:
相手の不快感への罪悪感・迫害不安
私には相手の不快感をすべて自分のせいと思い罪悪感を感じる傾向があります。その際「自分の方が悪い」と思うのですから、当然そのことで相手から責められる迫害不安も感じます。
このような自虐的・自己懲罰的な性格は、子供の頃の子育ての仕方、特に叱り方の影響が大きいように思えます。
常に相手の顔色を窺う傾向
最近子育てのテレビを見ていて気づいたことは、多くの専門家が子供を叱る際には頭ごなしに叱るのではなく、なぜ悪いのか?という理由を説明しながら叱ることを推奨していることです。
振り返ると私には両親から叱られる際に、理由を説明された記憶がありません。「子供は黙って親の言うことを聞くもの」であり、また常に親の主張が優先され、それは「そのように決まっている」からで、そこに理由などありませんでした。
むしろ親の考えや行動に疑問を持つことは厳しい処罰の対象となりました。なぜなら「親は常に正しく、子供は常に間違っていると決まっている」からです。
この「子供ゆえに間違っている」という価値観が、どのような場合でも「自分の方に非がある」との無意識の信念を形成し、冒頭の「相手の不快な様子をすべて自分のせいと思い込む」自虐的・自己懲罰的な性格へとつながり、また「いつ理由も分からず叱られるかもしれない不安」から常に相手の顔色を窺う傾向をも作り出したように思えます。
叱られる理由が分からない恐怖
このように親から理由もなく、あるいは「子供だから」という理由で一方的に叱られる体験は子供に深刻な心理的ダメージをもたらし、たとえば私のように(うつ病の素因ともなる)慢性的な抑うつを伴う自虐的・自己懲罰的な性格を生み出しかねないような気がします。
このことから多くの子育ての専門家の方のおっしゃる「子供を叱る際には頭ごなしに叱るのではなく、なぜ悪いのか?という理由を説明しながら叱る」ことは、私にはとても有益な「しつけの仕方」のように思えます。
大人にも有益な叱り方
また相手が子供ではなく大人であっても理由を説明しながら叱ることは同じように有益と思われます。なぜなら、たとえ大人でも理由も分からず叱られることは、子供の頃に同様の叱られ方をして傷ついたトラウマ(心的外傷)体験が反復される可能性が考えられるからです。
理由を説明しながら叱るには冷静さが必要
もっとも理由を説明しながら叱るためには冷静さが必要とされます。感情に任せて怒鳴ったのではこうはいきません。
おそらくそのような叱り方は、叱っているように思えても実は腹を立てて怒鳴りつけているのに過ぎないく、それは「叱るとは言わない」のではないでしょうか。
上手な叱り方 解説本リスト