自由連想法による自己分析:
『自然流精神療法のすすめ』の一節の記憶
あまりに強すぎる愛情を向けられた子供は逆に耐えられないほどの重圧を感じてしまう。愛とは同時に相手を束縛するもの。
自由連想法による自己分析からの洞察:
強すぎる愛情ゆえの強迫思考
幼少の頃から今日まで、私は常に母親からの圧力を感じてきました。そしてこれまでの自己分析から、その圧力は強迫的な信念に基づいた一方的な愛情表現によるものを考えてきました。しかし母親の愛情は強迫的なだけでなく強すぎたのかもしれません。
例を挙げますと実家で同居中、母親は(弁当を残して帰って来るのを含めて)食事を残すのを決して許しませんでした(自分は平気で残すのですが…)。先日帰省した際そのことを話題にすると「何でも食べた方が健康に良いと思って」とこともなげに答えられ面食らったことを覚えています。
この件をきっかけに、母親の心の中は「何でも食べた方が健康に良い」が転じて「何でも残さず食べないと病気になって死んでしまう」かのような強迫的な考えに無意識に支配されているのではないかと推測したのです。
今思えばこのような強迫思考の背後には強すぎる愛情の働きがあるような気がします。
愛情が強すぎるあまりに「死んでしまう」ような極端なケースまで想像してしまい、心配でいても立っていられなくなり、勢い強迫的になるのではないでしょうか。
このように考えますと、幼児のイメージ-自由連想法による自己分析92回目の「じゃあ、一緒にいてあげようか」を母親が必死の形相で言ったのことにも合点がいきます。
実際にどのような考えが母親の脳裏をよぎったのかは分かりませんが、例えば「このまま息子を一人で残して帰ると店員に追い出されて…そのことで落ち込んだ息子は思いあまって…」などと空想がエスカレートしていったのかもしれません。このように強すぎる愛情を想定でもしないと「必死の形相で」話す理由が私には理解できないのです。
自然流精神療法のすすめ―精神療法、カウンセリングをめざす人のために
著者の岡野憲一郎さんは精神分析の著書を数多く書かれている方ですが、本書は精神分析に限らず心理療法一般に役立つ内容で、かつ平素に書かれていますので、心理カウンセラーを目指されている方にもオススメです☆