NO IMAGE

職場・学校などでの いじめ・嫌がらせ-非言語メッセージと被害妄想の心理-自由連想法による夢分析・治療 目次:

夢の内容
自由連想法による夢分析・自己治療
自由連想法による夢分析・自己治療からの洞察
被害妄想は妄想ではない
言語メッセージと非言語メッセージとの責任の違い
嫌味で意図的に利用される非言語メッセージ
職場・学校などでの いじめ・嫌がらせで意図的に利用される非言語メッセージ

夢の内容:

パッケージデザインも手がけるデザイン会社に中途採用になる。しかし入社早々、先輩社員や上司から物を隠される、席を占領されるなど様々な嫌がらせを受ける。

自由連想法による夢分析・自己治療:

もの作りの現場での嫌がらせ
昔一度だけ受けたキャンドルアート教室の講師
陰険な性格
上手く蝋燭を成型できずに四苦八苦していると、いきなり「哀れな男だよ、お前は」と言われ、ショックを受けると共に恥ずかしさで一杯だった
家に帰ってからは無性に腹が立ってきた
その講師はときどきテレビに出演するほど著名な人で、テレビでの愛想の良さそうな態度との落差に、裏表があるようで余計に腹が立った
その後就職した会社の提携先の人が、その講師の下で昔働いていたそうだ
一週間ほどその提携先で書籍編集の研修のようなものを受けたが、ダメ出しの連続で、さらに何がどうダメなのか分からなかったので改善しようがなかった
精神的苦痛で体調不良に陥り、トイレによく行っていた
やがて提携話がダメになり、デザインソフトが使えるという理由で、子会社であった今パソコンメンテナンスの仕事をいただいている社長さんの会社に出向となった
しかしデザインソフトが使えるといっても、そこはゲームソフトの制作会社で、3Dソフトの使えない私に仕事はほとんどなかった
だから完全なお荷物だった
おまけにメタボな人ばかりだったため、冬でも冷房が入っているような職場環境で、またもや体調不良に陥った
冷え性には辛すぎる職場環境(T_T)
ところで、なぜ嫌がらせを受けるような夢を見たのだろう?
子供の頃から割りと、いじめられやすい性格ではあった
思い返してみると、ずいぶん酷い職場や人間関係だったとは思うけど、当時は相当自己愛が強い性格だったので、はたして自分の記憶が妥当なものかどうかは怪しい気がする
多分に被害妄想も入っているのではないかと
(もう一度、夢の内容を思い出す)
嫌がらせをされても嫌な顔一つ見せず、むしろ愛想笑いさえ浮かべていた
首になるのが怖かった
先ほどの会社でも、入社しても仕事がなかったため「いつ首にされるのか?」と、いつも不安に怯えていた
職場の人が「心配ない」「誰でもそうだった」と慰めてくれても信じられなかった
私をこのような境遇に追いやった上司への不信感が積もり積もって失礼なメールを出してしまい、被害妄想とたしなめられたこともあった
もっともその上司は会社の金を横領して逃げたとの噂だが
あの当時、上司に限らず男性社員の言葉はすべて裏表があるような気がして、何一つ信じられなかった
信用できるのは女性の方だけだと思っていた
裏表…自由連想法の最初に出てきたアートキャンドルの講師の印象と一緒だ
言葉の裏を詮索すれば切がない、そんなことは分かっている
しかし何か裏があるような気がしてならなかった
ん? でも若い頃はマルチ商法に簡単に騙された
これはどういうことだ?
相手の言葉の裏を詮索すれば、すぐに詐欺だと分かったはずでは?
マルチ商法の相手は終始笑顔で、職場の男性社員から感じた意味深な態度は感じられなかった
だからすっかり信用してしまった
だとすると会社での男性社員への不信感は、勝手に言葉の裏を読んで被害妄想に陥ったのではなく(その真意はともかくとして)相手の意味深な態度に対する混乱から生じたことになる
つまりまったく妄想的な被害感情(被害妄想)なのではなく、自分なりに相手から感じ取ったことへの反応だったわけだ

自由連想法による夢分析・自己治療からの洞察:

自由連想法による夢分析・自己治療から、被害妄想の心理に対する次のような自己洞察を得ました。

被害妄想は妄想ではない

上述の自由連想法の内容から察するに、被害妄想とはまったく根拠のない妄想なのではなく、その人なりに感じ取った印象から生じた感情であり、また被害妄想とは相手の人が「自分が与えた(相手が感じ取った)印象」に気づいていないことから生じる現象と考えられます。
つまり自分はそんな印象を与えたつもりはないのに、相手からそのように解釈され非難されるものだから、まったく根拠のない非難だとして被害妄想だと感じるわけです。
なお被害妄想を生じさせる「相手の人の印象」には、言語メッセージよりも後述の非言語メッセージの方が遥かに大きな影響を与えているものと推測されます。

言語メッセージと非言語メッセージとの責任の違い

言葉や文章などの言語メッセージは通常、知覚に障害をお持ちの方か、あるいは聞き間違い・見間違いでもしないかぎりは、誰に対しても同じ内容が伝わると考えられています。
そのため私たちは自分の言ったことや書いたことに対して、ある程度の責任を負わされる立場にあり、それが社会のルールでもあります。
ところが顔の表情・態度・仕草・姿勢などの非言語メッセージについては、メッセージの送り方・受け止め方の双方に大きな個人差があり、また送り手が自ら発する非言語メッセージの多くに無自覚、つまり無意識であることから、言語メッセージとは対照的にほとんど責任を問われることはありません

嫌味で意図的に利用される非言語メッセージ

このように言語メッセージと非言語メッセージとでは、メッセージの発信者に課せられる責任が大きく異なるため、非言語メッセージはしばしば巧妙に相手の心を傷つけるために利用されることがあります。
その他愛のない例としては嫌味があります。嫌味とはご存知のように表面的(言語)には肯定的な内容を伝えながら、同時に否定的な内容を非言語メッセージとして伝える行為です。
嫌味は通常は送り手がそれとなく嫌味と分かるように伝えるため、受け手もそれが嫌味であることが分かり、したがって一種のジョークとして受け止めるのが常識とされています。

職場・学校などでの いじめ・嫌がらせで意図的に利用される非言語メッセージ

ところがこれが職場・学校・近所・サークル・家庭などでのいじめ嫌がらせとなりますと話は別です。
悪知恵のある人は言葉による いじめや嫌がらせをするとしても、相手に否定的・攻撃的なメッセージを直接伝えるようなことはしません。むしろ嫌味の場合と同様に、言葉の上では肯定的なメッセージを送りながら、非言語メッセージで敵意を伝えます。
このような いじめや嫌がらせをする人は、上述の非言語メッセージの持つ非責任性をよく心得ているためです。
仮に被害者の人が非言語メッセージから受ける敵意をどんなに主張しても、それが非言語あるがゆえに客観性に乏しく、かつ表向きは肯定的なメッセージを伝えているわけですから、被害者の人の一方的な被害妄想として片付けられてしまう可能性が高くなります。
またメールやネットの掲示板などにおいて繰り広げられる露骨な誹謗中傷にも、やはりメッセージの発信者への責任が大きく影響していると考えられます。
ただし厳密には発信元の機器を通して人物を特定することが実際は可能なようです。
※このように書きますと、何か賢い いじめ・嫌がらせの方法を伝えていると受け取られかねないかもしれませんので「それは私の意図するところではありません」と一応責任逃れさせていただきます^^;
非言語メッセージのコミュニケーション(人間関係)への影響 心理学的分析本
職場・学校などでの嫌がらせ・いじめ 心理学的分析本
その他の今売れている嫌がらせ・いじめ対策本


P.S. 今回の夢分析での自己洞察から、被害妄想・加害妄想の治療に関して新たな洞察を得ました。
関連ブログ:被害妄想・加害妄想の治療-非言語メッセージの重要性と直面化の弊害

NO IMAGE
最新情報をチェック!