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強迫思考から生じた嘔吐恐怖症への共感不全-自己分析

嘔吐恐怖症の一番辛かった頃の記憶:

親の共感不全による喜び・嬉しさの抑圧-本による自己分析で自己分析を進めるうちに、小学校2年のときの嘔吐恐怖症に関する一番辛かった頃の記憶が思い出されました。
当時の私は父親の引き起こした偶然の事故により右足に2箇所大きなひびが入り、2ヶ月間の寝たきり生活を余儀なくされることとなりました。
そしてその際の様々な原因による嘔吐恐怖症の症状悪化が、私に2ヶ月間におよぶ死の恐怖の日々をもたらすこととなりました。

強迫思考から生じた嘔吐恐怖症への共感不全と死の恐怖:

「親の共感不全による喜び・嬉しさの抑圧-本による自己分析」でも触れましたように、当時の母親は病的なまでに健康への不安に対する強迫思考に支配されていたのでしょう。
そのため母親の関心はもっぱら「早く怪我が良くなるように、できるだけ多く食べされること」に向けられ、嘔吐恐怖症により吐き気がして何も食べられない辛さを理解してくれたことは(私の記憶では)一度もありませんでした。
健康への不安に対する病的な強迫思考が、嘔吐恐怖症による苦しみへの共感不全を引き起こしたのです。
さらに嘔吐恐怖症に苦しむ私の様は、母親のみならず父親や祖母からも「甘え」「わがまま」「反抗的態度」「家族をわざと困らせる嫌がらせ」「女々しさ」などと解釈されたため、母親は健康のために、そしてその腐った根性を叩き直すために、怒鳴ったり叩いたりして脅すことで無理やり食べさせようと試みました。
当時の私の心に生じていたのは一日三回必ず訪れる嘔吐恐怖症の苦しみと、ほとんど何も食べられないことで母親から怒鳴られ叩かれる恐怖…それに加えて「いつか母親に殺されるに違いない」という死の恐怖でした。

女性恐怖症の一因となるトラウマ(心的外傷体験)のおまけ付き:

このときの2ヶ月間におよぶ死の恐怖体験は、極度の精神的ストレスが原因と推測される血尿を生じさせ、さらに検査の際に尿道に鉄の棒を突っ込まれ激痛に悶える様を看護婦にゲラゲラと笑われるという、その後の女性恐怖症の一因となったトラウマ(心的外傷体験)というおまけまで付きました。
関連ブログ:恥ずかしさと罪悪感@女性恐怖症-自由連想法による自己分析240回
もしこれまでの人生で一番辛かった時期を挙げるとすれば、間違いなく重度の嘔吐恐怖症と母親からいつ殺されるかも知れぬ死の恐怖を味わい続けたこの時期を挙げるでしょう。
(体型は一変しましたが)2ヶ月間ほとんど何も食べずによく生き延びたものだと未だに不思議でなりません。私には奇跡としか思えません。
嘔吐恐怖症ほか、恐怖症 克服・治療ガイド
共感をテーマとした子育て・心理学の本

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