自覚なしに自己破滅的な行動をとることで、他人を恨み不幸な人生を嘆く~自己愛講座28

要約:かつての私もそうでしたが、自己中心的な態度があまり表面化しない「抑うつ型」の自己愛性パーソナリティの人には、自覚なしに自分が不利益を被るような自己破滅的な行為をしてしまうことがあり、この振る舞いが「自分は世界一不幸な人間」との考えをさらに強化してしまっているように思えます。

今回の自己愛講座は、特に抑うつ型の自己愛的な人に当てはまることの多い、自ら不幸を招くような自己破滅的な行動をとる傾向についてです。
その極端な例として、私の若い頃のエピソードを例に考察を進めていきます。

知人が一緒にいるにもかかわらず瞑想を続ける

30代前半の頃の出来事です。知人とその人がよく行くお店にいったところ、その人の知り合いが大勢いて、このあと近所のカフェでみんなでお茶しようという話になりました。
ところがその場で話が盛り上がり、なかなかカフェに移動する気配がなく知り合いが一人しかいないため疎外感を感じ始めた私は、一人で先にカフェに移動して当時ハマっていた精神世界の本を読むことにしました。

しかしよほど話が盛り上がっているのでしょうか、なかなか知人たちがカフェにやって来ません。
そのため今度は自分の存在が忘れ去られているように感じ始め惨め気持ちになって来ました。
そこで気分を落ち着けるために、目を閉じて瞑想することにしました。

やがて知人たちがやって来ましたが、私は瞑想を止めませんでした。
それを見て気分を害したと思ったのでしょう。知人が遅れたことを詫びましたが私は「別に気にしてませんよ」と伝え、また目を閉じて瞑想を続けました。
するとどう対処して良いのか分からなくなり気まずくなったのでしょう。知人たちは別のテーブルで話を始めました。
私は自分が除け者にされたことで、ますます疎外感を感じました。

自覚なしに自己破滅的な行動をとることで、他人を恨み不幸な人生を嘆く

ここで重要なのは、自分の自己破滅的な行動が原因で余計に不愉快な思いをしていることについての自覚がほとんどないということです。

※ですからこの時の私の病態水準はパーソナリティ障害水準に、つまり自己愛性パーソナリティ障害もしくは回避性パーソナリティ障害の診断がつく可能性があると言えます。
(詳しくは「病態水準の違いによる、陰口や噂話の知覚や解釈の仕方の変化」をご覧ください)

そして自分が原因の一端を担っている自覚がないために、不快な体験をすれば、それは半ば自動的に他人のせいとなります。
このため親しい人に対してさえ些細なことから恨みを抱き、それが元で簡単に疎遠になってしまうことも少なくありません。

また、その他人から嫌な目にばかり遭わされるという印象により「自分の人生はついていない」と不幸な人生を嘆くようにもなります。
ですから大げさに思われるかもしれませんが、当時の私は自分が世界一不幸な人間だと思っていました。
このような極端な思考に陥るのも、自分には何の非もないのにも関わらず人生が上手いっていないと感じているためです。

以上のことから、特に抑うつ型の自己愛的な性格構造の人が感じる「生きづらさ」の大きな原因は、自分の関与に関する自覚のなさであり、それゆえその生きづらさから抜け出す第一歩は、まずは自分がしていることが相手に与える影響への自覚を持つことと言えます。
いつも「自分は何も悪くないのだから、相手が考えや態度を改めるべきだ」と考えていては、対立を招くばかりでしょう。

追伸)投稿後に、以前に「自ら不愉快な状況に身を投じ、それでも被害感情を募らせる~自己愛講座25」という似たような内容の記事を書いていたことに気づきました。
以後、気をつけます。

広告
最新情報をチェック!