「DV加害者から離れられない被害者=共依存(関係)が存在」という見解への考察

息子の殺害に正当性が認められた、ある事件判決

最初に、ある刑事事件の記事を紹介致します。
「妻と娘を守る義務がある」三男殺害、父への判決

会員限定記事のため概要を書きますと、具体的な診断名は不明ですが精神障害の診断を受けている三男の家族への暴力がエスカレートしたため医師に相談したところ警察主導の「措置入院」を勧められ、しかしその警察から措置入院を拒まれたため、追い詰められた父親が最後には三男を殺害してしまったという事件です。
(無料で登録できますので、よろしければこの機会にどうぞ)

残念ながら役立たなかった父親の選択

この記事の中で私が特に注目したのは次の部分です。

弁護人「家族で逃げることは考えなかったのですか」
父親「家を出ても、三男は私の勤務先を知っている。職場に怒鳴り込んでくると感じました」

弁護人「警察に被害届を出すことは」
父親「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」

父親は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。

この父親は息子の報復などを恐れて、第三者から見れば有効と思えるような対策を控えたのですが、しかしそれでも息子の暴力は治まるどころか益々エスカレートしていったため、最後には殺しかないとの思いに至った、つまり報復などを恐れてとった父親の選択は残念ながら役立たなかったわけです。

DVの被害に遭う方の共依存的な特徴

このような父親の行動パターンは特別なものではなく、むしろDV(ドメスティック・バイオレンス)被害者の方の多くに見られます。
このため多くの専門家から、その要因として(それが性格的な要因であれ、特異的な状況により生じたものであれ)DV被害者の方に加害者から離れられない理由、もっと言えば一緒にいることで得られるメリットが何かあるからではないかとの推測がなされ、そのように考える方から共依存(関係)という概念が提唱されています。

またその共依存(関係)が生じる要因を主に性格因に求める専門家は、それが被害者の方の個人的要因によってもたらされると想定されることから特異的な現象と考えるのに対して、DVという特殊な状況がその要因と考える専門家はDV被害者の誰もが共依存関係に陥る可能性があると考える傾向があるように思えます。

共依存・共依存関係の用語の違い

さらに共依存・共依存関係という用語につきましても、前者の性格因を強調する方は個人の病理であることを連想させる共依存を、後者の状況因を強調する方は関係性の病理であることを連想させる共依存関係の方を好んで使われる傾向があると考えられ、したがってどちらの用語が正しいのかはどこに焦点を当てるかによって変わって来るものと思われます。

共依存関係=被害者の対人依存傾向+DVという状況因

この性格因・状況因(環境因)どちらの説が正しいのかを確かめるのは容易ではありません。
なぜなら例えば性格因であるか否かを確かめるために、これまでも同じようなことが度々あったのかを尋ねても、その答えの精度はその方の自己観察能力に大きく左右されるためです。

しかしDVの被害を受けたすべての方が加害者から離れられなくなるわけではなく、しかし同時に人間の心理状態はその時々の状況の影響を受け刻一刻と変化することも考慮しますと、もともと少なからず対人依存的な傾向を有している方がDVという特殊な状況に陥ることで「共依存(関係)」と呼ばれる現象が生じるではないかと私は考えています。

そしてこの仮説に基づきますと、DVで生じる共依存関係はもっぱら(DVという)状況依存的に生じるのではなく、少なからず被害者の方の性格要因も関係していることになります。
さらに性格因が存在するということは、その傾向が簡単には変化しないことを意味しますので、DV被害者の方の支援やカウンセリングは決して容易ではないことをも意味します。

次回のこのテーマの投稿では、DV被害者の方の支援やカウンセリングの難しさについて考察する予定です。

広告
最新情報をチェック!