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多くの傾聴では話を聞く目的が実質、傾聴的な応答を行うための情報収集となってしまっている気がします

  • 2014年11月30日
  • 傾聴
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前回の投稿「傾聴は聞き方ではなく「伝え方」の技術」について補足させていただきます。

傾聴のトレーニングでも話の聞き方を教わっている

前回、傾聴のトレーニングで教わることの大部分は話の「伝え方」であり、聞き方についてはクライエントの立場に立って聞くことくらいと書きましたが、その後の考察でこれは厳密には正しくないことが分かりました。
実際にはどのように話を聞くべきかを、もっとしっかりと教わっています。
それは傾聴独特の伝え方、例えば相槌・伝え返し・要約・明確化などのこと(以下、傾聴的な応答と略)を常に念頭に置きながら話を聞くべきということです。

これはより具体的には、どのように傾聴的な応答を行うべきかを頭の中で常に想定しながら話を聞くことであり、ここでの話を聞くという行為の目的は実質、傾聴的な応答を行うための情報収集となります。

上手く傾聴しようと思うあまり、話を聞く目的が実質、傾聴的な応答を行うための情報収集となってしまっている

講師の方はそんなことを教えたつもりはないと思われるでしょうし、また(私もそうでしたが)生徒の方もこれが傾聴する目的などではないことは頭では十分理解されています。
(あくまで私の理解ですが、傾聴する本来の目的はクライエントが他者から無条件に肯定されることにより自尊感情が高まり、これによって気分が改善したり自信が持てたりすることで問題解決能力が高まることであり、傾聴とはあくまでそれを促す手段に過ぎないはずです)

しかし実際には、教わった通りできるだけ正しく傾聴的な応答することに心を奪われるあまり、それ自体が、つまり自分自身が上手く傾聴できることが目的となってしまい、その目的のために伝える内容を収集すべく話を聞く状態になってしまっており、これが情報収集の意味するところです。

あくまで私見ですが、この目的と手段が逆転してしまっている事態が、カウンセラーがいくら熱心に傾聴し続けても、肝心のクライエントの自尊感情が一向に高まらず「ただ話を聞いてくれるだけで何も効果がなかった*」と思われてしまう一因ではないかと思われます。

*私の元を訪れるクライエントのカウンセラーを変えた理由として最も多いのがこの理由で、その次に多いのが外傷的な体験、つまり「傷つけられた」というものです。

次回は日々の傾聴講座およびカウンセリングの練習の実践から得た知見を元に、今回のことも含めて、クライエントの話を上手く聞けないとお悩みのカウンセラー志望の方々のその理由について、共感との兼ね合いで考察する予定です。
なぜなら話を上手く聞くとは、少なくてもカウンセラーにとっては共感的に話を聞くことを意味すると思われるためです。

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