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クライエントのどんな話も「その人なりの最善の努力」と考え想像力を働かせて聞く~傾聴のコツ2

聞き方を上達させようと思えば、最初のうちはまずは聞くことそのものに専念すべき~傾聴のコツ1」の続きです。

クライエントの話を深く理解することは本当にそれほど難しいことではないのか?

以前に「傾聴は話の聞き方ではなく「伝え方」の技術」で書きましたように、傾聴で用いられるテクニックのほとんどは、理解した内容の効果的な伝え方についてのものです。
だと致しますと、そこには次のような前提が存在するように思えます。

「クライエントの話を理解するためには、クライエントの準拠枠に沿って話を聞きさえすれば良い。問題は(難しいのは)その理解したことをクライエントの自己一致を促すために、どのように伝えたら良いのかということだ。」

だからこそ、話の理解の仕方よりも「伝え方」の方を一生懸命トレーニングするのだと思われます。

これは本当でしょうか?
クライエントの話を理解すること自体は、その伝え方に比べればそんなに簡単なことなのでしょうか?
実際にこのことを試していただければと思います。

今、目の前にあるクライエントがいて、自分がいかに日々の生活を不自由な思いで過ごしているのかを張りのない声で話しています。
その話からは未来に何の希望も持てない絶望感が漂ってきます。
しかし同時にそのクライエントの顔には奇妙な笑みが浮かんでいます。
セラピストの気のせいではなく、クライエントは実際にある種のポジティブな感情を感じており、それが顔に出ていたのです。

さてこの笑みは、どのようなことからもたらされたものでしょう?
マゾヒストだからというは無しです。
この部分だけ見れば確かにそういう一面もありますが、このクライエントはそうした性格タイプではありませんので、それ以外にもクライエントなりの理由があります。

答えは次のページに書かれています↓
https://sinri-counseling.tokyo/self-analysis/2015/0101_213309.html

私もその一人でしたが、恐らく傾聴を学ぶ多くの方はクライエントの話を聞いても「それも当然だと」腑に落ちるほどの深い理解までは到底至らず、その不十分な理解のままであることをクライエント役や講師に悟られずに、いかに自分が深く理解していることを傾聴のテクニックを使って装うかに苦労されていらっしゃるのではないでしょうか。

このようになってしまうのは、実はクライエントの話を本当にクライエントの身になって理解することは、その理解を効果的に伝えることよりも「遥かに難しい」ためです。
なぜなら理解の仕方は、伝え方のように単純なテクニックに還元できるような代物ではなく、また上述の質問例のように相当な想像力も必要とされるためです。
しかしそれにもかかわらずクライエントの話の理解を深めるトレーニングをほとんど受けていないためと思われます。

クライエントのどんな話も「その人なりの最善の努力」と思いながら想像力を働かせて聞くのが理解への道

ですが「間主観的アプローチ臨床入門-意味了解の共同作業」という精神分析の本に、そのヒントとなる一文がありました。

この上なく自滅的で法外な患者の特徴でさえ、彼らの個人史と個人的特性の全体像を考慮に入れる時、安全と安心を保持するための、彼らの最善の努力としてとらえられるのである(P.39)。

上述のリンク先の例で言えば、当時の私には未来に期待できるものは何もなかった。絶望するしかなかった。でも死にたくはなかったのでしょう。だから無理矢理その状況を楽しんだ
これが当時の私の生き残るための最善の努力です。

この間主観的アプローチの考え方を借りて、想像力を働かせながらクライエントの話を聞けば、これまでよりも幾分かでも理解が進むでしょうし、こうした態度こそが実践的な意味でのクライエントの準拠枠に立つということではないかと私は思います。

ただしここで「幾分かでも」と控えめな表現を用いているのは、これだけでは不十分なためです。
次回の傾聴のコツでは、その理由について書かせていただく予定です。

注)「傾聴のコツ」シリーズの目的は「効果的な実践」であり、したがって例えばロジャーズの理論の忠実な実践を意図したものではありません。
ですから試験対策には必ずしも適していない点はご注意いただけますでしょうか。
傾聴講座では、ご要望に応じて試験内容に即した練習サービスを提供しています)

クライエントの話の理解の仕方 参考文献

P.バースキー著、P.ハグランド著『間主観的アプローチ臨床入門―意味了解の共同作業』、岩崎学術出版社、2004年

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