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偽りの自己による女性恐怖症-ゲシュタルト療法による自己傾聴・治療

ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療のテーマとした症状:

加害妄想への罪悪感・被害妄想としての女性恐怖症-自由連想法による自己分析・治療203回で洞察された、女性恐怖症の発症に起因する「女性に対する加害妄想」および「危害を加えた女性からの被害妄想」的な信念に対する深い悲しみ

ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療:

女性恐怖症に苦しむインナーチャイルド(以下Iと略)「ボクは酷い人間です、決して許されるべきではありません」
心理カウンセラーとして援助する私(以下Cと略)「決して許されないような酷いことをしてしまった」
I「ええ、先生だってそう思うでしょ?」
C(考え込んでしまう…)
I「ほら、こうやってボクは人を苦しめるんだ」
C「答えに困るような質問をして私を困らせてしまった」
I「うん、酷い奴でしょ?」
C「酷い奴なのかどうかは分からないけど、君は私を困らせたかったのかな?」
I「いや違うよ、そんなこと考えもしなかったよ」
C「じゃあ、望んでもいないのに酷いことをしちゃうってことだ」
I「そうなんだ、だからボクにもどうしようもないんだ。だから一生酷い奴のままでいなきゃならないんだ」
C「このまま一生、酷い奴のままなんじゃないか…」
I「そう、酷い話でしょ」
C「そうだね、それは酷く辛い話だね」
I「もう耐えられないよ」
C「自分の酷さに耐えられない」
I「ママが怒るのも無理ないよ」
C「自分が酷い奴なんだから、ママに叱られるのも当然」
I「うん、仕方ないんだ」
C「叱られるのは仕方ない」
I「ボクが悪いんだからね」
C「ボクが悪いのだから」
I「うん、ボクが悪い」
C「断じてボクが悪い」
I「他に考えられないでしょ?」
C「他の人の方が悪いなんて考えられない」
I「そんな酷いこと考えられないよ、そんなこと考えたら罰が当たっちゃうよ」
C「他の人が悪いなんて考えちゃいけないんだ」
I「そう、人を信用してない証拠だからね」
C「他の人を悪く思うのは、その人のことを信用してない証拠なんだ」
I「そりゃそうだよ、当たり前でしょ?」
C「他の人のことは常に信用して、良く思わなくちゃ駄目なんだ」
I「そういないと叱られるからね」
C「そうしないとしかられる、誰に叱られるの?」
I「ママに決まってるでしょ」
C「人を信用しないとママに叱られるんだ」
I「ああ、そんな子に育てた覚えはない、そんな子はうちの子じゃないってね」
C「人を信用しないと、そんな子はママの子じゃないって脅かすんだ」
I「そうなんだ…」
(ガックリとうなだれる)
C「それは辛いね…」
I「うん…だから信用するしかないんだ」
C「ママに捨てられるくらいなら、どんなことでも疑っちゃいけない」
I「うん…それしかないからね、ボクには」
C「とにかく信用するしか道はない」
I「生きてくためにはね」
C「生きるために…」
I「その方がママも喜ぶからね」
C「その方がママも喜んでくれる」
I「ボクも嬉しいからね」
C「ママが喜ぶと君も嬉しくなる」
I「そうなんだ☆」
C「ママのことが大好きなんだね」
I「そうなんだ、だから悲しませたくないんだ、悲しませちゃいけないんだ」
C「ママを悲しませるのは、いけない子」
I「先生、ママと同じこと言うんだね」
C「ママも『ママを悲しませるのは、いけない子』だって言うんだ」
I「うん、そんな子はママの子じゃないってね」
C「じゃあ、ママを悲しませるようなことは何もできなくなっちゃうね」
I「うん…残念だけど…」
C「残念って?」
I(両手を広げて)「一杯一杯いろんなことを我慢しなきゃならないからね」
C「ママを悲しませないためには、したいことを一杯我慢しなきゃならない」
I「うん…でも仕方ないんだ」
C「ママを悲しませるくらいなら、我慢した方がいい」
I(諦めたように)「そうなんだ…」
C「我慢するしかない…それ以外考えられない」
I「だって、そうでしょ!? 他にどうしろって言うの!?」
C「ママを悲しませないことが何よりも大事」
I「それでも叱られるんだ…」
C「えっ?」
I「それでもママに、しょっちゅう叱られるんだ」
C「ママを悲しませないようにしてるのに、それでもママに叱られるの?」
I「そうなんだ…だからもう、どうしたらいいのか分からないんだ、自分で自分が分からないんだ」
C「自分が何をしたいのか、何をすればいいのか分からない…」
I「そうなんだ…」
(半ば放心状態で視線が定まらない様子)
C「それは辛いね」
I「辛いんだか何だか…」
C「辛いのかどうかさえ分からない」
I「ああ…どっちなのか教えてもらいたいくらいだよ」(苦笑)
C「誰か、助けて欲しい」
I「助ける?」(嘲笑)
C「誰も苦しみから助け出してくれない」
I「ああ多分ね、いや誓ってもいいよ」
C「誰も助けてくれないに決まってる」

ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療からの洞察:

偽りの自己

ゲシュタルト療法による自己傾聴で現れたインナーチャイルドは、ウィニコット(小児科医・精神分析家)が偽りの自己と名づけた心理状態に近いと思われます。
ママを喜ばせたい・悲しませたくない一心で感情(気持ち)を一切押し殺し、母に気に入られるような部分だけを自分と認めることで、本来の自分とはかけ離れた偽りの自己をどんどん肥大化させていったのでしょう。
しかしさらに悲劇的なことに、偽りの自己をもってしても母の怒りを静めることができなかったため、混乱のあまり自己感覚(これが自分という感覚)さえもが危うくなっていったようです。

ゲシュタルト療法による自己治療の女性恐怖症への治療効果:

女性恐怖症の症状軽減

翌日スターバックスでお茶を飲んでいるとき隣に女性が座ったのですが、昨日までの女性恐怖症が嘘のように女性に対して恐怖を感じません。より正確には昨日までの恐怖の感覚が単なる気配へと置き換わっているようです。
…などと女性恐怖症に意識を向け始めると徐々にまた隣の女性への恐怖心のようなものが湧き上がってくるの感じるのですが…それでも非情にマイルドな感覚で、恐怖といえば恐怖と言えなくもない、という程度の微かな恐怖に留まっています。
どうやら女性恐怖症の症状が大幅に軽減したようです☆
昨日のゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療(心理的虐待(心理的ネグレクト)-ゲシュタルト療法による自己傾聴・治療)では、焦点が女性恐怖症から幼少期の母子関係へと移っていき、その母子関係の体験から偽りの自己が形成されたことが示唆されました。
この洞察と女性恐怖症の症状軽減とを考え合わせますと、次のような治療効果で女性恐怖症の症状が軽減したものと推測されます。

女性恐怖症の症状軽減のプロセス

これまでは幼少期に形成された偽りの自己の働きにより、隣に座る女性に対して(「いつでも自分のほうが悪い」という信念から)無意識的な加害妄想、およびそのことで罰せられる恐怖(被害妄想)が生じ、これらの恐怖が女性恐怖症と認識されていた。
しかしゲシュタルト療法によるインナーチャイルドの癒し・自己治療の結果、偽りの自己をもってしても母の怒りを静めることはできなかったことが意識化されたことで、偽りの自己の限界もっといえば無力さを知り、相手の気持ちに完璧に歩調を合わせることなど不可能なことを実感した。
このように偽りの自己による努力が無駄な努力であることを知ることで、隣に座る女性に対しても魔術的な力でニーズを読み取りそれを満たす必要などどこにもないことが実感され、女性恐怖症的な症状も大幅に軽減したものと思われます。

対人恐怖症の症状全般への治療効果の波及

今回のゲシュタルト療法を用いた自己傾聴・自己治療による女性恐怖症の治療効果は、視線恐怖症など対人恐怖症の症状全般へと波及しました。

女性恐怖症は完治はしない

最後に今回ゲシュタルト療法によるインナーチャイルドの癒し・自己治療で、幸いにして女性恐怖症の症状が軽減しましたが、これはこの先一生もう女性恐怖症に悩まされる心配がなくなることを意味するものではありません。
もし何かの拍子に女性に対して恐怖を感じるような出来事があれば、おそらくこれまで女性恐怖症で体験したと同様の恐怖症状に、一時的であれ悩まされる可能性は高いでしょう。
これは実際の恐怖体験により、幼少期のときと同じような心理的プロセスが発動される可能性があるためです。幼少期には、まさに母に対する恐怖体験から偽りの自己が形成されるに至ったわけですから。
したがって「女性に対して一切恐怖や不安を感じなくなる」という意味での女性恐怖症の完治は起こり得ないと思われます。
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