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高所恐怖症・自殺の防衛機制の夢分析と認知行動療法による危機回避・治療-死の恐怖の否認と万能感

高所恐怖症・自殺の防衛機制の夢分析と認知行動療法による危機回避・治療-死の恐怖の否認と万能感 目次:

自由連想法による夢分析のテーマ
死の予感・焦り
自由連想法による夢分析からの洞察
焦りの心理で働く万能感・否認の防衛機制
高所恐怖症における死の恐怖の否認と万能感
高所恐怖症における死の恐怖の否認から生じる自殺衝動
自殺における死の恐怖の否認?
高所恐怖症による自殺の認知行動療法による危機回避の可能性

自由連想法による夢分析のテーマ:

死の予感・焦り

焦る悪夢@夢日記の夢分析(焦る悪夢への死の予感@夢分析)の際、いくら考えても日常生活の中で死を予感させるような深刻な出来事が思い浮かばなかったため、「死の予感」や「焦り」をテーマとして自由連想法による夢分析を試みました。

自由連想法による夢分析からの洞察:

焦りの心理で働く万能感・否認の防衛機制

自由連想法による夢分析を始めてすぐに、焦りを感じているときには物事を非常に楽観的に捉える傾向があり、その楽観視の心理の背後には万能感や否認の防衛機制が働いていることが理解できました。
たとえば「焦る悪夢@夢日記」の夢の中で私は、以前にその道を通って迷った経験があるにもかかわらず、時間がないので何が何でもその道を行かねばならないという焦りからか「今回は大丈夫だ」と根拠のない自信を覗かせ(万能感)、また夜に暗い山道に入ることの危険を一切考えないようにしています(否認)。
おそらくこのようなときの私は、焦る気持ちの苦痛から逃れることで頭がいっぱいで、冷静な判断力を完全に失っているのでしょう。
なにしろ約束の時間を守るためとはいえ、命の危険を顧みないのですから…

高所恐怖症における死の恐怖の否認と万能感

上述の夢での向こう見ずな心理状態の理解からさらに自由連想法による夢分析を進めていきますと、今度は過去に体験した高所恐怖症の出来事が想起されました。
一つめの記憶は写真教室で行った高尾山での出来事です。写真を撮りながら山道を登った後、簡単なミーティングをして解散、後はリフトで降りるだけでした。
しかしそこで悲劇は起こりました。リフトに乗ろうとした瞬間、急に高所恐怖症の症状に襲われたのです(@_@;)
正直高い所が全然平気というわけではありませんでしたが、子供の頃からスキー場のリフトには乗り慣れていましたので、まさかそれよりも低い高さ(2~3m)を移動するリフトで高所恐怖症になるとは夢にも思いませんでした。
そのため突然の恐怖に狼狽して完全にパニックになってしまいました(@_@;)
そのときの私の頭にあったのは恐怖から逃れるために「一刻も早く飛び降りなければならない」ということだけでした。しかしいざ飛び降りようとすると、やはり恐くて足がすくんでしまいます。
また自己愛の強い性格(抑うつ型自己愛性人格ないし回避性人格)ゆえか、みっともない真似はしたくないという恥ずかしさも相当感じていました。
すると今度は次のような考えが頭に浮かんできました。
「大丈夫だ、これくらいの高さなら大した怪我もしない。勇気を振り絞って飛び降りさえしたら、あとは何とかなる。恐いのは一瞬だけだ。すぐに楽になる。」
こうして私は勇気を振り絞って?飛び降りました(@_@;)
幸い怪我はありませんでしたが、後から思えば2~3mの高さとはいえ足場の悪い斜面に重い三脚を背負ったまま飛び降りたのですから相当危険な行為で、よく飛び降りることができたものだと思います。
高所恐怖症でパニックになった際に生じていた私の思考(自動思考?)には、上述の夢と同様に(死の恐怖は大げさかもしれませんが)恐怖心の否認万能感とが見て取れ、その常軌を逸した思考が私を向こう見ずな行動へと駆り立てたのでした。

高所恐怖症における死の恐怖の否認から生じる自殺衝動

もう一つ連想された高所恐怖症体験は、ビルの9階の窓から不意に地面を見下ろした際に生じたもので、こちらの体験は一歩間違えれば死んでいたかもしれないような出来事でした。
そのときはパソコンのメンテナンスの仕事で客先で作業をしていたのですが、蒸し暑かったため窓の開けて作業をしていました。
上司が別の現場に呼び出されて一人になったときです。何気なく下を見下ろすと当然ながら恐さを感じたのですが、恐さを感じただけではなく、そのまま窓の外へ引き込まれそうな感覚に襲われたため、その場に釘付けになり動けなくなってしまいました。
そのとき別の自分?の声が囁きました。
「ここから飛び降りたら楽になれる」
つまり「飛び降りて死んでしまえば高所恐怖症の恐さから逃れられて楽になれる」という理屈です。
その悪魔の囁き?につられるようにして「そうだ勇気を振り絞って飛び降りねば。痛いのは地面に激突した一瞬だけだ。あとはすぐに楽になれる。」
そう何度も自分に言い聞かせて飛び降りようとしました。
しかし最終的には飛び降りることができませんでした。なぜなら9階程度の高さから飛び降りても即死するとは限らないように思え、もし即死でなかったらその後も痛み、それも激痛に苛まれることになります。
私は一度交通事故の経験がありますが、事故の際の痛みだけでなく、筋肉の緊張による筋肉痛のため事故の晩は一睡もできませんでいた。
その辛さを身をもって体験していたため、結果的にその痛みを思い出すことで、痛みへの恐さから後ずさりして飛び降り自殺を思い留まることができました。
もし過去に交通事故でリアルな痛みを体験していなかったとしたら…深く考えもせずに飛び降りて本当に自殺してしまっていたかもしれません。
それほどあのときの私の心理状態は追い詰められていました(@_@;)
ここでも先の夢やリフトに乗った際の高所恐怖症のときと同様に、とにかくその場の苦痛から逃れるために死への恐怖が否認されています。

自殺における死の恐怖の否認?

上述のビルの窓から下を見下ろした際に生じた高所恐怖症が、一歩間違えれば飛び降り自殺にまで伸展していたかもしれないことを考えますと、死の恐怖を否認する防衛機制の働きが自殺と密接に関連している可能性が考えられます。
これはあくまで今回の夢分析から得られた自己洞察からの考察に過ぎませんが、絶望感が自殺を引き起こす大きな原因だとしても、おそらく誰もが感じるであろう死への恐怖心が否認されない限りは、最後の一線を越えて自殺を実行することはできないように思えます。
あくまで私見ですが。

高所恐怖症による自殺の認知行動療法による危機回避の可能性

最後にもし仮に今回の夢分析で現れた、高所恐怖症での死への恐怖心を否認するような思考パターン(自動思考?)が、自殺の実行や自殺衝動を引き起こす原因の一つだと致しますと、高所恐怖症の症状と共に生じるそのネガティブな思考バターンを自殺が促されることのないような、より安全な思考パターンに変えていくことが危機回避に役立つのではないかと考えられます。
もっとも高所恐怖症の発症時に自らのネガティブかつ危険な自動思考に気づき、それを修正するような精神的余裕はおそらくないと思われます。
したがって危機回避のためには、日頃から認知行動療法などの心理療法を用いて自らの破壊的な自動思考を修正していくことが現実的な対処方法ではないかと考えられます。
また認知行動療法は、認知療法だけでなく行動療法の部分をしっかりと行いさえすれば、高所恐怖症をはじめとした他の恐怖症やその他の不安障害・気分障害(特にうつ病)に高い治療効果を持つ心理療法であることが知られています。
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