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意識と無意識との葛藤-ゲシュタルト療法による自己傾聴

前回のゲシュタルト療法による自己傾聴(人生の意味-ゲシュタルト療法による自己傾聴)ではスピリチュアルな展開となり、本来ゲシュタルト療法で扱いたかった狼の赤ちゃん(インナーチャイルドの象徴)の気持ちへの共感的理解は十分ではありませんでした。
そこで改めてゲシュタルト療法による自己傾聴を行い、インナーチャイルドの気持ちへの共感的理解に努めました。

ゲシュタルト療法による自己傾聴:

(パブのカウンター越しに狼の赤ちゃんと向き合う)
私(以下「C」と略)「さっきはごめんね」
狼の赤ちゃん(以下「B」と略)「ううん、いいんだ、どうせボクなんか…」
C「どうせボクなんか?」
B「そうさ、どうせボクなんか、いてもいなくても一緒なんだから」
C「いてもいなくても一緒…」
B「誰も気にかけてくれないんだから、いてもいなくても一緒なんだ」
C「誰も気にかけてくれない…」
B「そうさ、だからいつも一人ぼっちなんだ、一人で遊ぶしかないんだ」
C「いつも一人ぼっちで遊んでるんだ…今日も一人だね」
B「ママがミルクをくれないからね…だからここでミルクをもらってるんだよ」
C「ママがミルクをくれないから、ここでミルクをもらってるんだ」
B「そうだよ、悪いかよ!」
C「悪いことかどうかは分からないけど…」
B「だって、こうするしかないんだ」
C「そうだね」
B「寂しいけど、こうするしか生きる術がないんだ」
C「これしか生きる術がないんだ」
B「寂しいけどね…」
C「これしかなくても寂しいんだね」
B「そうさ、これしかないんだ」
C「これしかないんだ…」
B「……」
C「いつもこの席に座ってるの?」
B「ああ、迷惑にならないようにね」
C「迷惑?」
B「ああ、少しでも迷惑になると追い出されちゃうから、そうなると飢え死にするしかないからね」
C「ホントに追い出されちゃうの?」
B「ホントさ! やっぱり疑ってるんだ!」
C「ごめん…迷惑になるとホントに追い出されちゃうんだね」
B「最初からそう言ってるじゃない、頭悪いな」
C「う~ん、ちょっと悪いかもしないね」
B「何で怒らないの?」
C「何でって、ホントのことでしょ?」
B「そうだけど…」
C「ひょっとして怒って欲しかったの?」
B「そういうわけでは…そうなのかな?」
C「分からなくなちゃった?」
B「うん…ボクは頭がのろまなんだ」
C「頭がのろま?」
B「うん、いつもママがそういっているよ、だからイライラするって」
C「ママがのろまだからイライラするって言うんだ」
B「そう、だからミルクをもらえないんだ」
C「のろまだと、どうしてミルクをもらえないの?」
B「きっと罰なんだと思うよ」
C「罰? 何に対する罰?」
B「決まってるじゃない、ママをイライラさせた罰だよ」
C「ママをイライラさせちゃったから罰を受けるんだ」
B「そうだよ、どこの家でもそうでしょ? 悪いことしたら罰を受けるのは当然でしょ?」
C「悪いことをしたら罰を受けるのは当然なんだ」
B「そうだよ、決まってるじゃない」
C「じゃあ、ママが悪いことしたら罰を受けるの?」
B「ああ、パパの罰を受けるんだ」
C「じゃあ、パパが悪いことしたらどうなるの?」
B「パパは…あんまり見たことないけど…たぶんママが罰を与えるんじゃないかな」
C「そうなんだ」
B「そう…」
C「……」
B「ねえ、ミルクお代わりしていい?」
C「うん、もちろん」
B「でも、お金ならないよ」
C「今日はサービスだよ」
B「どうしてサービスしてくれるの?」
C「たくさんお話聞かせてくれたからね」
B「お話するだけでサービスしてくれるの?」
C「そうだよ」
B「そうじゃないよ、たくさんお話しすると、お仕置きされるんだよ、うるさいから」
C「おうちだと、たくさんお話すると、お仕置きされちゃうんだ」
B「うん、パパとママはね、ばあちゃんは違うけど」
C「おばあちゃんは、たくさんお話してもお仕置きしたりしないんだ」
B「うん、でも代わりにお仕置きされちゃうんだ、うるさいから黙らせろって、ホントはボクがお仕置きされなきゃいけないんだけどね」
C「そうか、君がお仕置きされなくても、代わりにおばあちゃんがお仕置きされちゃうんだ」
B「まったく酷い奴だよボクは」
C「君が酷い?」
B「そうボクだよ、ボクがばあちゃんにお仕置きしたようなものだから、ボクがばあちゃんを都合よく利用したんだから」
C「そういうことになるの?」
B「そうだよ、君はホントにおめでたいんだね、さっきだって見事ボクに騙されてミルクをおごらされたじゃないか」
C「ボクは『おごらされた』とは思ってないけど」
B「気がついてないだけだよ、ボクほど狡賢い赤ん坊はいないからね」
C「もしかしたら、それもママが言ったの?」
B「そうさ、ママはボクのこと何だって知ってるからね、ママは天才なんだ」
C「ママは天才だから君のことは何だって知ってるんだ」
B「ああ」
C「じゃあ、ママは君が毎晩ここでミルクを飲んでることも知ってるのかな?」
B「もちろん!ママはどこにいたってボクのことを手に取るように分かるんだ、ボク以上にね」
C「君以上に?」
B「そうさ」
C「それでママは心配しないの?」
B「もちろん心配してくれるよ、ちゃんと見えない所からボクを見てくれて、悪い子にならないかと心配してくれるよ」
C「ママのこと、ホントに信頼してるんだね」
B「ああ、ボク以上に信頼できるよ、放っておくとボクは悪さばかりするからね」
C「悪さって、たとえば?」
B「ママが気に入らないことすべてさ」
C「ママが気に入らないことは、すべて悪いことなんだ」
B「もちろんさ」
C「キミはそれで楽しいの?」
B「楽しい? 楽しいかどうかはママを見てれば分かるよ」
C「ボクはキミが楽しいかって聞いたんだけど」
B「だからそれはママを見てれば、楽しいかどうかすぐ分かるよ」
C「よく分からないんだけど…ママが楽しいとキミも楽しいってことなのかな」
B「そうだよ」
C「キミが楽しいかどうかはママ次第ってことのなのかな?」
B「そうだよ、だってママが悲しむとボクも悲しくなるよ」
C「それは悲しい目に遭わされるってっことじゃないの?」
B「……じゃあ聞くけど、君は人が悲しむのを見て嬉しいのかい?」
C「それは…」
B「だったらバカなこと聞かないでくれ、他人が悲しめば自分も悲しくなるのは当たり前だろ?」
C「そうだね…」
B「何だかもう疲れたよ、話の分からない人と話をするのは」
C「ごめんよ、気をつけて帰ってね」

ゲシュタルト療法による自己傾聴からの洞察:

インナーチャイルドの深く傷ついているはずの心をゲシュタルト療法による傾聴で共感的に理解しようと試みたのですが…結果は見事失敗…すっかり共感し損ねて、途中からは議論のようになってしまい最後は見限られてしまいました…
しかし自分の心にさえ共感できないとは心理カウンセラーとしては情けない限りです(T_T)
愚痴はこの辺に致しまして、ゲシュタルト療法による自己傾聴からの洞察です。
改めてゲシュタルト療法による自己傾聴のプロセスを振り返りますと、意識に近い心理カウンセラー側の私の態度が気になります。なぜなら普段の心理カウンセリングではたとえ気持ちが高ぶっても今回のゲシュタルト療法による自己分析のように議論を吹っかけるような真似はしません。その程度の自制心は働きます。ですからもう少しマシな対応ができたはずです。
しかし今回のゲシュタルト療法による自己傾聴では最低限の自制心すら失われています。共感的に理解しようと努めていたにもかかわらずです。ではなぜそれほどまでに冷静さを失ってしまったのでしょう?

ゲシュタルト療法による議論を通した無意識の葛藤の表れ

これはあくまで推測ですが、今回のゲシュタルト療法による自己傾聴のプロセス自体が私の(無意識の)心の状態を表しているような気がします。インナーチャイルドと心理カウンセラーとしての私との議論のような会話は、そのまま無意識の欲求と現実適応を強いる意識の欲求との間の葛藤を表しているように思えます。
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