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溺愛への防衛機制としての感情抑圧-自由連想法による自己分析116回

自己分析のテーマとした感情:

以前の自己分析*で洞察された「何でも母親に、要求されている・必要とされている」と受け取られる、溺愛のような愛情への嫌悪
*関連ブログ:
溺愛の恐怖から嘔吐恐怖症に-自由連想法による夢分析95回目
アダルトチルドレン(AC)?共依存?-自由連想法による夢分析97回目

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

こんなに苦しいのなら、いっそ何も感じなくなってしまいたい

自由連想法による自己分析からの洞察:

母親の溺愛

母親の「何でも自分への要求と受け止める」と思われる傾向は、長い間「無意識的に」私を苦しめてきました。
特に意味のない世間話のような会話がすべて母親への要求や懇願と受け取られるのはとても辛いものです。
それが母親にとって否定的なニュアンスのものであれば、それは即座に「悪意に満ちた迫害」と受け取られますし、逆に肯定的なニュアンスのものですと今度は予想もつかないような余計なおせっかいとそのことへの感謝を強制され、それを拒否すると「人の好意を無にする薄情者」と罵られることになりかねません。

溺愛への防衛としての知性化

それはまるで「嵐に翻弄される帆船、あるいはジェットコースターの上で暮らしている」ような感じで、一時も気の休まる暇がありません。
上述の「いっそ何も感じなくなってしまいたい」は、幼い頃に母親のペースに巻き込まれ翻弄される人生にホトホト疲れ果ててしまい、感情を抑圧することで心の中の嵐を沈める道を選んだことを示しているように思えます。
おそらく私の知性化をはじめとした感情を抑圧(隔離)する防衛機制は、母親の溺愛とも思える激しい感情から身を守る必要ために築かれたのでしょう。

溺愛の苦痛

世間では母親のこのような相手の重荷になるような愛情表現は溺愛と呼ばれるのでしょうが、溺愛は常に相手に対して自分の愛情への感謝を要求する点で、愛他的というよりもむしろ独りよがり(自己愛的)なもので、それは溺愛の対極である心理的ネグレクト(心理的無視)と同じように有害なもののような気がします。
私には溺愛が「愛されているだけマシ」とはとても思えないのです。
感情の抑圧 治療・心理学的考察本リスト

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