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幼稚園児への強迫的な愛情(溺愛)を向けられる苦痛・重荷-自由連想法による自己分析・治療212回

自由連想法による自己分析・自己治療のテーマ:

母親を喜ばすための自虐行為-自由連想法による自己分析・治療208回で考察した、母親からの留守電の内容(占い)への新たな疑問

自由連想法による自己分析・自己治療:

原因不明の症状に悩まされる私を心配してくれているのは分かる
しかしなぜ「占い」なのだろう?
私が占いなど信じないことは知っているはずなのに
それでも運勢が良いと知れば元気になってくれると思ったのだろうか?
(もう一度、留守電の内容を思い出す)
母親の声のトーンに微かだが焦燥感を感じる
何に焦っているのだろうか?
どうしてよいのか分からない、どう励ましてよいのか分からない
とにかく励まさなければ
だから焦燥感に駆られた
なぜ励まさなければならないと思ったのだろうか?
私が励まして欲しいと思っていると感じた?
数年前に見た母親が夢
私がママー!ママー!と泣き叫ぶ夢を虫の知らせと感じて慌てて電話してきた
しかし実際に母親が心配するようなことは何もなかった
これが母親の中の私のイメージなのだろう
心理的には母親の中で私のイメージは幼稚園児に等しいのだろう
私が心理的に幼稚園児のように思われているのなら「自分が何とかしなければ」と焦燥感に駆られるのも理解できる
もし私が本当に幼稚園児なら病気への不安でとても心細い思いをしているだろうから
しかしその母親の溺愛とも思える強迫的な愛情が、私には苦痛でたまらない、重荷になる…

自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:

幼稚園児への強迫的な愛情を向けられる苦痛・重荷

自由連想法による自己分析・自己治療により、母親の留守電の声のトーンから焦燥感を感じたことから、数年前に母親が見た夢とそのときの母親の対応が想起され、今でも幼稚園児に対するような強迫的な愛情(溺愛)を向けられることへの苦痛や重荷が洞察されました。
なお母親の見た、幼稚園児の私が泣き叫ぶ夢はシンクロニシティ夢としての性質もあります。
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※自由連想法に表れた母親のイメージは私の無意識の空想に過ぎず、したがって母親が現実に私を心理的に幼稚園児のように思っている事実を示すものではありません。
唯一はっきりしているのは「私が」母親から心理的に幼稚園児のように扱われていると「感じている」ことだけです。

溺愛-愛情という名の支配-の心理 分析本リスト

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