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言われなくても分かっているはずとの思い込みからの迫害妄想-自由連想法による自己分析127回

自己分析のテーマとした症状:

騒音に苦情を言おうとしたときの激しい情動

深夜に騒音を立て続ける上の部屋の住人に耐え切れず苦情を言おうとしたのですが、いざその人のところへ行こうとすると激しい情動を体験しました。以前にも別の住人の騒音に悩まされたことがあり今回と同じように情動に襲われましたが、前回と今回では情動の感じが違っていました。
前回感じた情動は主に苦情を言うことで相手から逆恨みされる不安からでしたが、今回の情動は明らかに自分の内面から生じている感覚がありました。

症状に対する考察:

過去に自己主張したことで心的外傷(トラウマ)を伴うような、よほど辛い体験をしたのではないか?
そうでなければ、たった一言苦情を言うだけなのに、こんなにも激しく苦痛な情動を感じるはずがない。
特に直前の自己分析(父親の力強さと攻撃的空想-フォーカシング・自由連想法による自己分析126回)で、空想上で恐れていた悪魔がむしろこれまでの自分に欠けていた力強さを与えてくれる存在であることを知り、これまで感じることのなかった自分の力強さを感じ始めた矢先だったのでなおさら腑に落ちない。

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

何でも自分と同じように感じてくれるように期待
母親の若い頃の記憶
ボーっとしていることで周囲の同僚が代わりに何でもしてくれた
「ボーっとしているからこそ」と明らかにそれを長所と感じているような話しぶり
「父親のせいでせっかちな性格になってしまった」との怒り
母親は「自分がせっかちな性格になってしまったから、何も言わなくても他人が面倒を見て(望みを叶えて)くれなくなってしまった。昔のようなボーっとした性格に戻れさえすれば、また他人が自分に尽くしてくれるようになるに違いない」と考えているのではないか?
だから、ボーっとしている「にもかかわらず」私も含めた他人が気を使わないことに対して「なぜいちいち分かりきっていることを言わなければならないのか!」と腹が立つのではないか?

自由連想法による自己分析からの洞察:

言われなくても分かっているはずとの思い込みからの迫害妄想

深夜に騒音を立てれば、下に住んでいる私が「迷惑して止めて欲しい」と思っていることは言われなくても分かっているはず。それなのに「なぜ私が苦手な苦情をすることで嫌な思いをしなければならないのか!」
(さらに)それを知っていながら騒音を立て続けるのはきっと嫌がらせしているに違いない
騒音に苦情を言おうとしていたときの私は、このように感じていたのではないでしょうか。
このように考えますと恐らく私が感じた情動は、理由もなく迫害してくる相手への激しい怒りだったのだと思います。
また「嫌がらせしているに違いない」の部分は、母親が私に対して感じていたことのような気もします。
私の心の中には自分の気持ちは言われなくても分かっているはずとの思い込みがあり、それを無視されたことで激しい怒りを感じたのだと思います。

適応への努力

最後に母親の心理について若干補足させていただきます。母親のような心理は一見不適応的に見えますが、間主観性を考慮した自己心理学の立場から考察しますと、このような心理は(母親なりの)適応への努力として解釈することもできます。
なぜなら母親の立場に立ちますと、ボーっとして相手からの気遣いを期待する心理は、今は失われてしまった結婚前の幸福な時期を再び取り戻すための必死の試みとも考えられえるためです。

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