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自由連想法による自己分析の内容:

父親と祖母が、私や弟のことで気に入らないことがあると、よく「お前の育て方が悪いからだ」と母親を責めていた
八つ当たりもいいところだ
いや、母親が責められているとき、それが自分が悪いような気がしていた
じぶんの身代わりに責められているんだと
そのことで恨まれるに違いないと思った、すべてお前のせいだと
お前の行いが悪いから、私はこんな目に遭わされるのだと
どうしてくれる?責任を取れ!一生罪を償え!と
一生か…それで逃れられない宿命のようなものを感じるのか
自分の犯した罪を母親に擦り付けて自分だけ涼しい顔をしていたことの罰を
自分のせいで責められている母親を、傍観者となり黙って見ていて助けなかった罪への罰を受け続けなければならないのか
本当は自分が責められるはずだったのに
自分という人間は、平気で他人に罪を擦り付けて平々凡々と生きている、そんな非情な人間に違いない
きっと自分でも知らないうちに他人を踏み台にして、のうのうと生きてきたに違いない
何て酷い奴だ
そんな人間が他人から好かれるわけがない いや、あってはならないことだ
私のような人間こそが迫害されるべきだ、ユダヤ人ではなく
もしかしたらユダヤ人も私の身代わりになって死んでいったのか?
知らなかった 何て無知な人間なんだろう
あんな酷いことをしていながら、知らずにいるなんて
いつかきっと悪事がバレて死刑になるだろう
いや精神病院の方がお似合いか
こんな自虐的な連想なら、いくらでも出てきそうな気がする
中学生のときの記憶
同級生のS君が部活の下級生をいじめているの見て見ぬ振りをした
すると翌日から、その場に居合わせた幼馴染の弟さんから私が嫌がらせをされるようになった
見て見ぬ振りをしたことで実際に罰を受けた体験だ

自由連想法による自己分析からの洞察:

傍観者であることの罪悪感が迫害妄想に

ここに出てきた連想内容の大部分は空想すなわち妄想に過ぎません。しかし子供の頃に体験した自分のことを出しに母親が責められること、さらにそれを傍観者になり見て見ぬ振りをして母親を助けなかったことへの罪悪感が、その後の中学生のときの現実に罰を受ける体験によって無意識の中でドンドン肥大化し、このような迫害妄想を生じるまでになったのだと思います。
しかし現実には、鬼のように怖い父親に抗議することなどできるはずもなかったでしょう。ですからこの罪悪感は、本来は感じる必要のないものだったのだと思います。
傍観者の心理 分析本リスト

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