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自己分析のきっかけとなった出来事:

母親からの手紙に「参考になれば」と同封されていた新聞の切り抜き。しかしそれは札幌の閉店したケーキ店の記事。いったい何の参考になるというのだろう?
もしかしたら、また何か予想もしない期待をかけられているのではないだろうか?と不安になる…

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

時々わざわざ自分の立場が危うくなるようなことまで無意識にしゃべってしまう
それで何度、上司から怒鳴られたことか…
怒鳴られても怒鳴られても懲りない、学習能力がない
なんでそんなに何でも喋りたくなるのだろう?
もしかしたら、やましい気持ちを隠しておくことに耐えられないのだろうか?
やましい気持ちを隠すことへの罪悪感に耐えられないのだろうか?
そうやって罪を告白することで、良い子になろうとしているのか?
自分の中から悪い子を全部追い出すことで
もしやこの心理は分裂(自我のスプリッティング)
そういうことか…
もともと罪悪感に耐えられない性格のため、少しでも罪悪感を感じるようなことがあると、それを告白の形で外へ吐き出したくなる
何かの事情で吐き出せないときは当然心の中にとどまり続けに、罪悪感への耐性の低さから、自分がとてつもなく悪い人間のように思え、今度は自己懲罰的な思考で次々と攻撃を加え罪悪感の元を消し去ろうと躍起になる
今まで罪悪感に耐えるのが苦手なことに薄々気づいてはいたが、それが分裂の防衛機制まで作り出していたとは
もしかしたら分裂で排除しようとする悪い自己の一部は投影されているのかもしれない
そうなると、これまでの自己分析の洞察の中にも、投影による迫害妄想によるものも含まれている可能性も出てくる
ならばこの先の自己分析で一体何を信じればいいのだろう?
何を基準にして投影同一視か否かの判断をすればよいのだろう?
スーパーバイザーからのアドバイスを思い出す
ナラティブセラピーで迫害的な母子関係の物語が作り出されたとき、本当にこんなことがあったのかと疑問を呈すると「まったく根拠のないことは空想にさえ出てこない」と教えられた
確かにそうなのかもしれない…
もしスーパーバイザーの見解が正しければ、これまでの自己分析はそれはそれで心的現実としては正しく、今回の自己分析ではたまたま分裂機制的な心理が自由連想に現れた…そういうことなのだろう
自分はこれまで迫害に近いことを体験したこともあるし、反対に悪い自己を投影して被害妄想に陥ったこともある…そういうことなのだろう
こうして言葉にすると当たり前のことなのだけれど…この当たり前のことがなぜか頻繁に忘れ去られるため、今までのは全部被害妄想に過ぎないのではと思い、自分を責めずにいられないのか

自己分析からの洞察:

分裂・投影同一視による被害妄想

自由連想法により自己分析するうちに、これまでの迫害的な洞察は分裂(自我のスプリッティング)投影同一視により捏造された幻想であり、すべて被害妄想に過ぎないのでは?と思えてきました…

「分裂・投影同一視」参考書籍:

パーソナリティ障害の診断と治療
2章に渡り分裂・投影同一視など23の防衛機制について分かりやすい解説が載せられています。
関連ブログ:パーソナリティ障害の診断と治療

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