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自己分析のテーマとした症状:

母親との電話に罪悪感を感じた後に生じた、タリーズの顔見知りの店員さんへの、まともに視線を合わせられないほどの恐怖心
*関連ブログ:母親と同じ自己愛障害-自由連想法による自己分析160回

自由連想法による自己分析:

なぜ今日に限って恐怖心まで感じたのだろう?
きれいな人なのでこれまでも多少の緊張を感じたことはある
しかし視線を合わせられないほどではなかった
あの感覚は緊張なんてものじゃなかった
身につまされるような恐怖だった
体が凍りつきそうな恐怖だった
いつも親しげに接してくれる人なので、なおさら恐怖心を抱く理由がないはず
それにいつになく素っ気ない態度を取ろうと努めていた
なぜ恐怖を感じると、努めて素っ気ない(冷たい)態度を取る必要があるのか?
その態度で何を防衛しようとしたのだろうか?
防衛…何らかの苦痛や不快感の防衛
姿を見られていると感じるだけで恐怖を感じる
見られる恐怖
まさに対人恐怖症女性恐怖症?)だ
(店員さんの笑顔を思い出す)
はにかむような少しぎこちない笑顔
ん?ため息…イメージの中の彼女が、笑顔の後にため息をしたように見えた
疲れた、疲れきっている
笑顔を作ることにエネルギーをすべて使い果たしてしまったようだ
まさか、このことへの罪悪感
自分のせいでそんなに疲れてしまった
自分が疲れさせてしまった、疲労困憊になるまで追い込んでしまった
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、こんな連想をしてしまった
もしかしたら母親との電話で感じた罪悪感と関係があるのか?
母親との電話では、母親の隠された願望?を自分への期待と解釈し、その期待に応えられないことへの罪悪感に苛まれた
(連想内容を見直して)
ん?素っ気ない態度を取れば、相手は嫌な思いをして余計に疲れさすだけなのでは?
いや違う、笑顔を無理に作っていると思っているのだから、その作り笑顔が疲労の原因と思っているはず
分かった、素っ気ない態度を取ることで「こんな嫌な客に愛想良く接する必要なんてないですよ」と伝えようとしているわけだ☆

自由連想法による自己分析からの洞察:

気遣いからの素っ気ない態度と加害妄想

母親との電話で罪悪感を感じやすいモードになっていた私は、実は(無意識に)前々からその作り笑顔が気になっていた店員さんの疲労困憊の姿を魔術的に感じ取り(=妄想)、その疲れきった店員さんを気遣い少しでも負担を減らすために、したくもない素っ気ない態度を取るにいたった…ということになります。
通常、統合失調症の方などに見られる関係妄想は圧倒的に被害妄想的な妄想が多いと聞きますが、今回の私のケースでは被害妄想ならぬ加害妄想です。
しかしこうして実際に個人の自由連想法に現れてきたからには、まったく根拠のない話ではありません。
もしかして加害妄想は私が知らないだけで、心理カウンセリングの現場でも実際に生じていることなのかもしれません。

統合失調症の気遣いからの陰性反応

精神分析の包括的な入門書『パーソナリティ障害の診断と治療』に、統合失調症の方は(心理カウンセラー自身も気づかない)心理カウンセラーの隠れた心理状態を敏感に感じ取ると書かれてありました。
もし統合失調症の方が心理カウンセラーの疲れた様子を見て取り、「(多分に加害妄想的な)これ以上疲れさせては申し訳ない」との気遣いから、少しでも心理カウンセラーの仕事を減らすために、治療を妨害するような行為でもって「これ以上私には構わないでください」とのメッセージを送ったとしたら…おそらくその気遣いは治療に抵抗する陰性反応と解釈されてしまうでしょう…
このような悲劇を回避するためには、個人的には治療への『抵抗』という死の本能的な仮説を破棄して、それを(病理水準に関係なく)適応のための努力と解釈する間主観的な自己心理学のアプローチを取る方が懸命のような気がします。
P.S. 後からふと思ったのですが、私の素っ気ない態度をとる気遣いの心理は『やさしさの精神病理』に述べられている若い方の気遣いの心理とどこか似ているような気がしました。
間主観的な自己心理学 解説本リスト

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