夢:
卒業式の日、クラスの人たちから自分が実は世良正則だったことを聞かされるw
自分がまさか世良正則だったとは…知らなかった
友達から作曲の秘話などを聞かれ、知ったかぶりをして答える。何しろ世良正則だった頃のことを何も覚えていないのだから…
卒業式後K君と一緒に彼の家に遊びに行くが、途中ではぐれてしまい慌てて元の道に戻る。イメージの中で「きっと私が間違って下の道に行ってしまったに違いない」とK君が言っているのが聞こえる。
分かれ道に引き返すともうK君の姿はない。きっと先に行ってしまったのだろう。急いで自転車をこぎ後を追う。
夢から覚めたときの思考:
何で世良正則なんだろう?
自分とは真逆の性格 シャドウ(影)か?
自由連想法による夢分析(重要な連想のみ):
以前の自由連想法に現れた母親の笑顔への恐怖
あれは期待への恐怖だったのか
肯定的な視線を向けられると期待からのプレッシャーに苛まれ、反対に否定的な視線を向けられると今度は自分のせいで不快にさせたのでは?と罪悪感と報復への迫害恐怖を感じる
かといって無関心な視線に対しては「自分には何の価値もない、だから関心を示されない」と思い憂鬱になる…
結局どんな視線を向けられても苦痛に感じる(T_T)
視線の苦痛から逃れる方法はただ一つ
相手の視界に入らないこと! 常に見えない所にいること!
究極の対処方法は引き篭もり!
自由連想法による夢分析からの洞察:
女性への視線恐怖症
私には対人恐怖症の一種である視線恐怖症の傾向があります。それも見知らぬ女性への視線恐怖症です。具体的には道ですれ違うときや、カフェなどで何気なく顔を上げたときに女性と視線が合うときに恐怖を感じます。
酷いときには視線が合わなくても相手の女性から見られている、それも凝視されているような恐怖を感じ、動きがぎこちなくなったりしてしまいます(T_T)
見知らぬ女性の何気ない視線が、私には何か意味を持っている、言葉を換えれば相手の考えや感情が視線に表れているように思え恐怖を感じずに入られないのです(@_@;)
女性への視線恐怖症の原因
これまで視線恐怖症は相手が女性のときに酷くなることから、中学生のときに下級生の女子たちから会うたびに理由も分からず笑われた体験が原因だとばかり思い込んでいました。
しかし今回の夢分析から、おそらく女性への視線恐怖症の本当の原因は別にあり、下級生の女子との体験は女性への視線恐怖症を悪化させたに過ぎない可能性が示唆されました。
今回の夢分析からの洞察によれば、どのような種類の視線に対しても(無意識に)それぞれに違った意味を感じ取り、その意味に恐怖を感じていたことになり、具体的には次のような視線恐怖を感じていました。
1. 肯定的な女性の視線への恐怖
まず相手の女性の視線が肯定的なものに感じられた場合、その視線は何らかの期待を表すため期待からのプレッシャーという恐怖を生じさせ、さらにその期待の内容が分からないことによる混乱がさらなる恐怖を招いていました。
2. 肯定的な女性の視線への恐怖
次に女性の視線が否定的なものと感じられた場合は、誰しも不快に思われるでしょうが、私の場合は女性の否定的な視線が「私の態度や行動への不快感の表れ」と解釈され、そのことから罪悪感と不快感を与えたことで報復される迫害不安が生じ、これが視線恐怖として体験されていました。
3. 肯定的な女性の視線への恐怖
そして女性の視線が無関心、つまり気に留めていないように感じられた場合は、自分は「人からまったく関心を向けられないほど取るに足りない無価値な人間」との思考が生じ、この思考が憂鬱な気分を作り出していました。
また、以上のような視線恐怖症が男性に対して生じる場合、これまではそれが男性の視線に対する恥ずかしさ(恐怖ではなく「恥ずかしさ」と認識されていました)であることから同性愛願望の現われと錯覚していたのですが、実際男性の視線に対して感じていたのは恥ずかしさではなく恐怖であり、その恐怖は女性の視線への恐怖と同様、上述の3パターンのいずれかの視線恐怖であることも分かりました。
女性の視線恐怖を避けるための引き篭もり
さらに自己分析から、どのような視線に対しても生じてしまう恐怖から逃れるための最後の手段として他者からの引き篭もり、具体的には他者(得の女性)の視線を浴びる心配のない位置への退避が選択されることも明らかとなりました。
私はカフェなどで「自分の横側から女性の視線を受けるような位置」に座ると非情に落ち着かなくなり、逆に横から女性が見える位置だと落ち着くのですが、これも上述の女性の視線への恐怖から生じていたのでしょう。
自己愛障害による視線恐怖症
最後にこれらの視線恐怖症のプロセスには、自己愛障害(重症の場合は自己愛性パーソナリティ障害)による「自他の心理的境界の曖昧さ」、具体的には「何でも自分の態度への反応と思い込む心理」が大きく影響していると思われます。
私の視線恐怖症の症状は、相手(の視線)による現実の脅威から生じているのではなく、空想により作り出された想像上の恐怖に過ぎません。そしてその空想は相手の視線を自分の態度への反応と思い込む心理から生まれています。
すべての視線恐怖症の背後に自己愛障害の心理が存在するのかは分かりませんが、少なくても私自身の視線恐怖症には自己愛障害が大きく影響しているように思えます。
視線恐怖症 克服・治療本リスト