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自己愛の延長物の心理も存在-女性恐怖症の自己分析(補足)

先ほど投稿しました「自分の関心の抑圧が症状を生み出す-女性恐怖症の自己分析」補足記事に誤りがありましたので再投稿させていただきます。

見ず知らずの人にも阿吽の呼吸を期待する心理:

自由連想の中に何度も「知りながら」という言葉が出てきますが、この時の私はそれらしい素振りさえ示していないのですから、恐らく隣の女性が私がここに書かれているような思いを抱いてとは知る由もないと思います。
しかし、それにもかかわらず「知りながら」と思っているということは、いちいち言葉や態度で示さなくても分かってもらえるはずと思い込んでいることを示していると思われます。
この私のような「阿吽の呼吸」の心理は、日本人なら誰でも抱くことではありますが、しかしそれは多くの場合、家族などある程度長い付き合いのある人に対してであり、見ず知らずの人にそれを期待するのは無理があります。
ですから私のような心理はやはり病理と言わざるを得ないと思います。

自己愛の延長物の病理が不安や恐怖をもたらす:

なお私のこのような病理は精神分析では自己愛の延長物と呼ばれます。
この用語は他人を「自分とは別個の心を持った独自の存在」とは捉えず、代わりに「自分の心の一部分」と考える心理状態を表すものですが、自分の心の一部分としてですから厳密には自己愛というよりも、自分という感覚を表す「自己」を用いて「自己の延長物」とした方が的を得ている気がします。
しかし自己愛の延長物という用語の方が定着してしまっているため、慣例に従い自己愛の延長物と明記しました。
もっとも他人を自己の延長物として頻繁に利用するのは自己愛的な性格構造を有した人であり、その目的は自分の自尊感情を満たすことなど専ら自分自身のためですので、その意味で自己愛の延長物という言い方も、まったくの的外れと言うわけではないと思います。

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