自己分析のきっかけとなった本の文章・症状:
精神分析の本の文章「父親よりも自分の方ができるのではないか*」を目にしたとき父親との嫌な思い出を回想。その直後に予約しようとしていた美容室での以前の恐怖体験**を想起し不安になる。
*コフート理論とその周辺―自己心理学をめぐって P.184
**関連ブログ:
無視されるぐらいなら欲求不満のはけ口として利用された方がまし-自由連想法による夢分析98回目
自由連想法による自己分析:
K印刷にいた頃、一度仕事で父親が上京してきた
忙しい中、何とか時間を作って会う
「待たされた」と父親が怒っていた
すっかり萎縮…
ホテルの中の和食の店で一緒に食事
話題がない…
料理や他のお客さんへの悪口を延々と聞かされる
父親と母親と仙台へ温泉旅行に行ったときの記憶
父親の仕事の愚痴
最初(自分でも不思議に思ったが)共感的に話を聞く態度をとると、その後延々と仕事の愚痴が続いた
私の戸惑った表情に気づかないかのように
父親の視線…たしかに私に向けられているが、私を見ているようには感じられない
私を素通りして、どこか遠くを見ているような視線
あぁ、自分の世界に浸っている、自分に酔っているような感じ
自己陶酔
だから私の反応に気づかなかったのか☆
以前に自由連想法で感じた母親の笑顔への恐怖
どこか焦点の定まらない視線の笑顔
父親の「自分に満足げな」笑顔
決して私に向けられているわけではない、他人にお構いなしの自己中心的な笑顔
自分を見ているようで実は無視されている笑顔
美容室で感じた恐怖も長いこと待たされる間、スタイリストが他のお客さんと親しそうに話しているときに生じた
恐怖は無視される苦痛?
しかし無視される苦痛を味わうと、なぜ外へ飛び出したい衝動に駆られたのか?
子供の頃、父親はよく仕事の愚痴、それも上司や同僚を馬鹿にしていた
家族の反応など気にせず、母親が怒り出すまで一方的に話し続けた
今思えば、それがとても嫌だった
怖くて愛想笑いをし続けるのが辛かった
逃げ出したかった
その場から消えてしまいたかった
これが美容室で感じた逃げ出したい衝動で働いていた心理か?
たしかに待たされても嫌な顔一つ見せてはいけないと思い、「お待たせいたしました」と言われたときも笑顔でつくろった
父親のときも、嫌でたまらなくても(多分ぎこちない)笑顔を絶やさなかった
怖くて母親のように腹を立てることができなかった
「腹が立つときは作り笑顔」これが信念
そういえば昨日、上の階の住人が床を踏み鳴らす音がうるさくてクレームをつけようとしたときに激しい抵抗を感じた
あれも「腹が立つときは作り笑顔」からの抵抗だったのか?
しかしなぜそこまでして作り笑顔を作る必要があるのか?
父親が怖いからといって、作り笑顔までする必要があるのか?
魔法? 笑顔の魔法?
無理にでも笑顔を作れば、幸せな時間が訪れる
そんな考えが浮かんだ
辛さの否認による躁的防衛とも考えられなくもないが…「笑顔により幸せな時間が訪れる」の方がしっくりくる
「お願いだから楽しくしてよ、仲良くしてよ」
そうか、作り笑顔は父親への必死のお願いだったのか…
心理的防衛ではなく願望だったのか
たしかに子供の頃、夫婦喧嘩をはじめとした家族の仲たがいが嫌で嫌でたまらなかった
自由連想法による自己分析からの洞察:
怒りへの作り笑顔の心理
幼い頃から感じていた怒りを表現することへの苦手意識は心理的防衛というよりも、楽しさ・仲の良さを望む気持ちによる怒りの表現への抵抗であり、その気持ちが作り笑顔をとおして表現されていたことを知りました。