自己分析のテーマとした症状:
スターバックスでの隣に座る女性への女性恐怖症的不安
自由連想法による自己分析:
これまで何度も自己分析してきた女性恐怖症
しかし未だに恐怖心は消えない
それが気のせい(妄想)だと分かってはいても、相手の意思を感じる
何かを期待されている
今にも「何やってるの! 早くしなさい!」という内なる声が聞こえてきそうだ
ん?まるで母親が子供を叱るような言い方だ
「愚図、のろま、あ~イライラする! 頭にくる!」
「嫌がらせもいい加減にしなさい!」
ん?何をしたらいいのか分からなく戸惑っていると、それは「母親への嫌がらせ」になるんだ
知らなかった…
であれば「分からなくても、とにかく何かしなければならない」
とにかく「何かしている振り」だけでもしないと叱られる
昔から何かしていないと落ち着かない性格だった
そうか、何もしていないことは母親から叱られる恐怖を引き起こすんだ☆
だから、いても経ってもいられなくなるのか
そういえば少し前に美容室の予約をキャンセルして時間に余裕ができ、そのことで気持ちの安らぎを感じたとき、しばらくしてから急に胃がキリキリと痛み出した
もしかしたら胃痛は、何もしないことで母親を怒らしてしまうことへの罪悪感から生じたヒステリー性疾患なのかもしれない
たしかに不意に暇になると恐怖心のようなものを感じる
退屈なんて生ぬるいものじゃない、恐怖だ
恐怖とともに「何かしなければ」という焦燥感に駆られる
そうか焦燥感は何もしないことで母親に叱られる恐怖だったのか
そういえば母親も非情に「せっかち」な性格だ
いつもイライラしている
そしてそのイライラが「自分のせい」のような気がしてくる
そうか、自分のせいなのだから「自分が何とかしなきゃ」という気持ちになってくるのか
自分に責任があるのだから
先日帰省した際にも、母親がイライラしてくると弟が「早く帰りたくなってきた」と嘆いていた
私もまったく同感だった
母親のイライラの苦痛に耐えられず、その場から逃げ出したかった
もしかしたら子供の頃の私は、父親だけでなく母親からも常に叱られる恐怖を感じ、毎日怯えながら過ごしていたのかもしれない
たとえ実際には毎日叱られ続けていたわけでなくても、空想の中では父親や母親から叱られる恐怖と常に隣り合わせの状態だったのかもしれない
ではなぜ母親は私が何もしないだけで、そんなに腹を立てたのだろう?
投影?
いや違う、母親はむしろ「ボーっとしているのが好き」だと言っていた
羨望だ、羨望からの怒りだ
結婚前の母親は、本人いわく「職場の花」だったそうで、何もしなくても同僚が代わりに仕事を片付けてくれたそうだ
その(母親いわく)幸せな時間は、結婚退職によりすべて奪われてしまった…
そのような母親から見れば、何もしない私は羨ましくて仕方がなかったに違いない
自分から奪われた幸せを「これ見よがしに」見せつけられることに、我慢がならなかったに違いない
自己分析からの洞察:
暇への恐怖と母親の羨望
暇を持て余す、いえ少しでも暇になると生じる焦燥感や恐怖は、幼少期から続いてきた母親から羨望による怒りを向けられることへの恐怖から生じていた可能性が示唆されました。
何を隠そう、私自身も羨望が強い人間です。『トップランナー』など見た日には…ゲストが心理カウンセラーとはまったく関連のない職種にもかかわらず強烈な羨望に駆られますw
これは自分に欠けている「他者からの賞賛」を手にしている人々への羨望です。
ところで今回の自己分析は女性恐怖症をテーマとして始めたはずです。ということは女性に対する恐怖は羨望を向けられる恐怖ということになるのでしょうか?
女性から羨望を向けられる恐怖…いまいちピンときません。女性の方すべてが母親と同じような羨望を抱くとはとても思えませんし、また「女性→母親を投影」との精神分析的理解もあまりにも単純すぎるような気がします。
女性恐怖症に関しては、まだまだいろいろと自己分析してみる価値がありそうです。
「羨望」心理学的分析本