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過酷な超自我の投影による迫害不安-自由連想法による自己分析17回目

連想内容(重要な連想のみ):

予備校の下宿で一番仲が良かった同僚のS君とのウンコを我慢しながらの会話
パンツにウンコが付いていた
トイレに行きたいと言えなかった
小学校のときのお洩らしと一緒
相手が気分を害すると思った
「裏切り者!」

自由連想法による自己分析からの洞察:

迫害的な不安

私は、たとえつまらなくても自分から電話を切ったり、そろそろ出ましょうかと言うことがとても苦手です。ですから電話を切りたい、もう帰りたいと思ってもそれが言い出せないためにとても嫌な気持ちになります。連想内容はその極端なケースです。
自分でもまったく気づかなかったのですが、嫌な気持ちの正体は(その場での)関係を終わらせることに対して相手から「裏切り者!」と罵られるかもしれない迫害的な不安でした。ですからお漏らししてしまうまでトイレに行くのを我慢していたのでしょう…

過酷な超自我の投影による迫害不安

しかし私からその場の関係を終わらせたことだけで実際に不快に思われる方は極少数でしょうから、私が感じる迫害不安の大部分は投影によるものだと思われます。
このブログを書いていて思ったのですが、投影される内容は超自我のような気がします。私の心には過酷な超自我が棲み着いており、それは恐ろしい母親の姿をしています。
ですから会話相手から「裏切り者!」と責められる(無意識の)不安を通して、恐ろしいときの母親から「私を見捨てる気なの! 何て酷い子なの!」と責められる恐怖を再体験しているもかもしれません。

万能的な超自我

ところで私のケースの場合、女性イメージが男性に投影されており、これは一般的な投影の機制ではあまり見られないことです。しかしこれも私の超自我の万能的な力を思えば訳ないことです。私の中の超自我は簡単に時空を超え、またどんなものにでも姿を変える力を持っています。
例を挙げます。以前に漠然とした不安に襲われ眠れぬ夜を過ごしたことがあったのですが、その際にケータイの着信音の幻聴が聞こえてきました。いつまでも鳴り止まぬ着信音(これ自体も大変な恐怖ですが)に続いて、今度はどこからともなく声が聞こえてきました。
「どこにいてもお前のことを見張っているぞ! 逃げられやしないぞ!」
それは母親の声でした。恐ろしい母親イメージがケータイの着信音に姿を変えて?私を迫害していたのです…
「どこにいてもお前のことを見張っているぞ! 逃げられやしないぞ!」これは過酷な超自我の性質をよく表しています。
過酷な超自我は私の心の一部、したがって私の内部に存在しています。そして内部に存在するものから逃れることは不可能です。ですから過酷な超自我は機会を見つけて他人に投影されることになります。
なぜなら過酷な超自我の内容が他人の中にあることになれば、その相手から逃れることで過酷な超自我の迫害からも逃れられるはずであり、そのことで安心感が得られるためです。
迫害する相手が自分の内側にいると感じられることほど恐ろしいことはありません。それは迫害の恐怖から決して逃れられないことを意味するからです(@_@;)

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