自己分析・自己治療のきっかけとなった本の文章:
「情動体験(感情を伴う体験)が重要な他者との心理的絆の維持にとってあまりに危険かつ破壊的であると繰り返し扱われてきたため、感情を伴う体験が拒絶あるいは解離されてしまっている…ひどく自己批判的で、自分自身を心理的に異常だと確信している」(間主観的アプローチ臨床入門 P.107 一部改変)
自由連想法による自己分析・自己治療:
即座に過去のナラティブセラピーを想起
(関連ブログ:ナラティブセラピーによる自己分析81回目)
(改めてそのナラティブセラピーを読み直す)
自分は母親を喜ばすためだけにに生まれてきた
最初からそう運命付けられている、それ以外の人生は許されない
親に育ててもらっている分際で、自分では何一つ満足にできない分際で、好き勝手は許されない
生意気にもほどがある
「誰のために育ててやってるんだ!この恩知らず!恥知らず!」
まったくその通りだと思う
誰が好き好んで、こんな出来損ないの子供を育てたりするだろう?
出来損ないは出来損ないらしく振舞うべきだ
人々に奉仕するべきだ
笑われて何ぼ、いじめられて何ぼ
いつ死んでもいいように準備しておかねば
これ以上、恥を晒さないように
死んでしまってからでは、もう恥を取り繕うことはできないのだから
死んでからも恥をかく、恥をかき続けるなんて耐えられない
死んでも嫌だ
生きたい、そうならないためにも生き続けていたい
死にたくない、まだ死にたくない
でも私が死ねば、母親はこれ以上仕送りをしなくて済むようになる
でもそれは母親の望むことではないような気がする
逆に悲しませるような気がする
もう以前の私を虐待し続けた母親ではないのだから
私の仕事(心理カウンセリングや夢診断・夢分析)を支持してくれているのだから
なぜ素直に感謝できないのだろう?
感謝したくない?
たとえ変わったとしても、虐待され続けてきたことへの恨みが消えていないような気がする
以前と比べると優しくなった母親を、虐待への罪滅ぼしと感じたことがあった
だから感謝の気持ちが湧かないのか
罪滅ぼしするのが当然だと
意識の上では恨みはまったく自覚できないのに、無意識では未だに恨み続けているのか…
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
母親の虐待への無意識の恨み
間主観的自己心理学の本の一節から自由連想法により自己分析することで、これまで無意識に抑圧されていた母親の虐待への恨みが意識化されました。
虐待に潜む母親の心理 心理学的分析本リスト