NO IMAGE

まるで台本を読むように小説を読んでしまっていた…@本による自己分析

昨日、写真家のサイトの方に「カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』感想~いつの間にか事態の異常さに気づかされていく巧妙な文体」という記事を掲載しましたが、その記事の最後に書きましたように、読み始めた時にかなりの戸惑いを感じました。
今回はそのことについて書きます。

リンク先にも書きましたように小説を読むのは15年振りくらいですが、読書自体は仕事の心理療法や写真・アート関連の本を毎日のように読んでいますので、今回の戸惑いは本を読む行為で生じたものではありません。
では何だったのか?それは読み方です。

専門書の読み方

まずこれまでの専門書の読み方を整理してみます。
私の場合、専門書は主に仕事や写真の参考になりそうな情報や考え方などを得るために読みますので、可能な限り書かれている文章の意味の理解に努めます。
特に写真論や芸術論の本の多くは、心理療法の本と比べても具体性にかけ抽象的な議論に終始するものが少ないため、書かれていないことを推測、より具体的には仮想的にでも現実を想像しながら読み進めないと、まったく意味が分かりません。

ですから15年間、こうした専門書ばかりを読んでいた結果、いつしか内容をありありと想像しながら読み進める癖がついてしまっていたようです。

その結果まるで台本を読むような読み方になってしまった…

そして今回、15年振りくらいに『わたしを離さないで』という小説を、その自覚なしにいつものように読み始めたのです。

小説にはその場面の情景を示す文章や、登場人物の心情を表す文章などが綴られていましたが、上述の理由から私は無意識にそれらの文章すべてを一つ一つできるだけリアルに想像しながら読み進めたため、1ページ読むのに10分以上の時間を要し、かつ上手く想像できない部分があることに対してストレスを感じました。

ここに来て初めて、以前に小説を読んだ時には、こんなに時間がかからなかったし、また今回のようなストレスもあまり感じなかったことを思い出し、自分の小説の読み方のおかしさに気づきました。
これまでの専門書を読む癖から、まるで役者が台本を読むような読み方で小説を読んでしまったのでした。

このことに気づいてからは、まだ不慣れさを感じつつも、それまでの読み方と比べれば斜め読みに近いペースで読めるようになりました。
まだ慣れませんが…

追伸)ちなみに15年前に最後に読んだ小説は、知人から借りた村上春樹のデビュー作の『風の歌を聴け』でした。
多分その後の彼のヒット作とは、ずいぶん作風が違うのでしょうね。

カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』

NO IMAGE
最新情報をチェック!