自己分析のテーマとした症状:
隣に座る見ず知らずの女性への恐怖感。
自己分析を始める前の症状への解釈:
自分が隣の女性を意識しているのを知られることに、恐怖を感じているのではないか?
自由連想法による自己分析・自己治療:
いつになく隣に座る女性への恐怖を強く感じる
私は一番端の席、その隣に女性、あとは空席
広いカフェに私と見ず知らずの女性が二人っきり、しかも隣同士
この状況に何とも息苦しさを感じる、窒息しそう
いや窒息というよりも、上手く呼吸ができなくなる
もしかしてパニック発作のときによく併発するという過呼吸?
いや、そこまで酷くない
呼吸困難というほどではないが息苦しさを感じる
公認会計士の受験生だった頃の記憶
自習室で税理士受験の女性とよく一緒になった
二人だけだったことよくあった
挨拶するだけで別に親しくなったわけではなかった
それでも相手は若い女性だし、広い空間に二人っきりの状況なので意識せずに置けなかった
あるとき、その女性にいつものように「お先に失礼します」と挨拶すると怪訝そうな顔をされた
「誰この人?」と思われているような気がしてショックだった
突然のことに加えて理由がまったく思い当たらなかったので、余計にショックだった
あのときと今のカフェでの状況…女性と二人っきりという点では共通している
でも以前の体験はその女性と何度もそのような状況になった
今隣に座っている女性とはそうではない
今日初めて見た、いや正確には顔を見ていないので、それすら定かでない女性だ
自由連想法による自己分析を始める前は、自分が隣の女性を意識しているのを知られる恐怖だと解釈していたが、過去の似たような状況を思い出すと、そうではなさそうだ
あれは楽しい思い出などではない…むしろとてもショックな出来事だ
あっ、でも当時は(その女性と親しくなって…という)ほのかな期待もあった
そしてその期待が無残にも打ち砕かれたわけだ…
問題はその理由が分からなくて混乱に陥ったこと
だから未完了の心理的問題として、心に残ってしまったのではないか?
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
過去の未解決な心理的問題の反復
フロイトの精神分析の時代から、心理学の世界では未完了の心理的な問題は生涯にわたって(様々に形を変えながらも)反復されると考えられ、ゲシュタルト療法では特にこの点が強調されています。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のフラッシュバックも心理的に未解決な問題(この場合はトラウマ・心的外傷体験)の反復だとする説もあります。
参考文献:
「想起・反復・徹底操作」フロイト著作集6 自我論・不安本能論 所収
過去の未解決な心理的問題の反復による女性恐怖症
(あくまで解釈に過ぎませんが)私の場合も、過去の見ず知らずの女性との辛い体験が、ハッキリした理由が分からないために未解決な心理的問題として残り、理由が分からないがゆえに「今度こそは上手くいくかもしれない」と期待して、当時の女性に対して持ったような期待を、見ず知らずの女性に対して反復し続けているのかもしれません。
そしてその過去の未解決な心理的問題の反復が女性恐怖症の症状を引き起こしているような気がします。
過去の未解決な心理的問題の無意識の反復による漠然とした女性恐怖
もっとも、このような見ず知らずの女性に対する期待は意識的に感じられるわけではなく、自由連想法によって初めて明かされた無意識の心理といえます。
意識的に感じられるのは、おそらく当時のショックが再現されることへの(それも意識されないがゆえに)女性に対する漠然とした不安や恐怖だけです。
諦めきれない願望による女性恐怖症
もし当時「そんなに簡単に見ず知らずの女性と親しくなれるものではない」と心の底から納得できれば諦めがついて、今回のような女性恐怖症の症状はおそらく生じなかったはずです。
しかし私は理屈では納得できていても、気持ちの上では今でも完全には納得できていないような気がします。
だからこそ無意識の中では今でも「今度こそは」と期待すると同時にショックを受けた情動も反復され、女性に対する恐怖に苛まれるのでしょう。
女性恐怖症ほか対人恐怖症 治療・克服ガイド