自己分析の素材とした空想:
目が疲れてきたので目を閉じていると、いつの間にか隣に座っている女子高生が*、私が目を閉じている隙に財布を盗もうとして見つかり、慌てて逃げ出す場面を空想していました。夢を見たのではなく無意識的な空想です。
*カフェで自己分析していたためです。
自由連想法による自己分析・自己治療:
いつもこうだ…気がつくといつの間にか他人に危害を加えられる迫害的な空想をしている
ん?待てよ、空想の内容は一方的に迫害的とはいえない
女子高生は自分の荷物を残したまま慌てて逃げ出してしまったのだから、いずれ身元がバレて捕まってしまうだろう
だとするとこの空想は危害を加えられると同時に、最後は相手を懲らしめている、つまり反撃している
それにダメージが大きいのはむしろ相手の方だ、警察に捕まってしまうのだから
ん?待てよ…盗難に遭ったのに犯人は捕まってしまったのだから犯人の方が酷い目に遭ったとは、ずいぶんとお人よしな考えではないのか?
そういえばこのような空想をするときは、いつも決まって感情がない
相手に対する怒りがまったくない
何か相手が嫌がらせや危害を加えるのが、しごく当たり前のことのように思っている
子供の頃の記憶
近所の悪ガキに騙されてカードを取られた、道にばら撒いてしまったカードを拾ってくれる振りをして取られても見て見ぬ振りをした
いずれのときも弟は怒りを顕わにしたが、私は「別にいいんだ」と平静を装った
騙されたときも最初から騙されるだろうと予測していた
それにもかかわらず相手のペースに自らはまっていった、弟が不安がるのを制してまで
子供の頃の出来事も大人になってからの空想も、どちらもまるで犠牲者になりたがっているかのようだ
いやちょっと違う…犠牲になるのが宿命のように感じられる…最初からそうなる運命なのだと…
どこからこんな自虐的な信念が生じたのだろう?
ちょっと意思を強く持てば簡単に防げることを、何で最初から無条件に諦めて(受け入れて)しまうのだろう?
子供の頃、親から言われ続けた言葉
子供のくせに生意気を言うな
子供のくせに文句を言うな
子供のくせに黙って言うことを聞け…
子供のくせに、子供のくせに、子供のくせに…
全部子供だからが理由だ
子供だから何の権利もないのだ
誰のおかげで生きていられると思ってるんだ
五体満足に生んでもらっただけで有り難いと思え
どうやら私は「生きさせてもらっている」存在らしい
そうか、だから何をされても文句を言える立場ではないのか…納得
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
迫害される宿命
迫害的な空想や子供の頃の危害を加えられても何もできなかった体験から、そのように扱われることを宿命と感じている無意識の信念が自己洞察され、さらにその自虐的とも思える信念は、幼少期も含めて子供の頃に繰り返し親や祖母から「何をされても文句を言える立場ではない」とのメッセージを受け取り続けることから生じた可能性が示唆されました。
迫害される宿命との信念から生じる怒りの抑圧
さらに自由連想法には表れてきませんでしたが、上述の迫害される宿命との信念は怒りを抑圧してしまう性格へも影響を与えているように思えます。
私は怒りを感じても*それを表に出すこと抵抗、いえ恐怖心すら感じてしまいます。何か怒りを表現することが許されないことのように感じられるためです。
この「許されない」という考えは上述の「何をされても文句を言える立場ではない」との信念の反映のように思えます。
どんなに腹が立つことがあっても我慢しなければならず、それは何をされても文句を言える立場ではないため。だから怒りを顕わにすることが許されないことのように感じられるのではないかと考えられます。
*怒りが自覚されずに抑圧され、何時間も経ってから自分が怒りを感じていたことに気づくこともよくあります(T_T)
おそらく私の心の中では、怒りを感じるたびに子供の頃に形成された「何をされても文句を言える立場ではない」との信念が活性化され、その信念が怒りを抑圧させる力として働いているのでしょう。
なお、この自己洞察の正否は『セラピストと患者のための実践的精神分析入門/オーウェン・レニック』の理論を借りれば、今後の怒りの抑圧という症状の軽減ないし消失の有無で判断されることになるはずです。
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P.S. その後、怒りの抑圧について目立った症状の軽減は見られなかったため、上述の自己洞察は知的な解釈に過ぎなかったようです(T_T)