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「男らしさ」というジェンダー観にほとんど関心がない~性自認の自己分析その2

今回は「心の性(性自認、ジェンダー・アイデンティティ)についての自己分析」の考察で得られた洞察を書きます。

前回、心の性について初めて自己分析しましたが、その結果は「男」という恐らく大多数の男性と同じ答えでした。
この心の性は、前回も触れましたように性自認、ジェンダー・アイデンティティとも呼ばれ、したがって自尊感情に少なからず影響を与える要素となることが想定されます。

そしてこのことは典型的には自分の性を「男」と認識することで、「男らしさ」と呼ばれる男性に期待される属性や社会的役割を自分が体現できていることが、自尊感情の重要な要素の1つとなることを意味すると考えられます。

ところが私は心の性を「男」と即答できたにも関わらず、この「男らしさ」や男性の社会的役割に対するこだわりがほとんどないことに気づきました。
具体的には「男なのだからこうあらねば」と考えたことや、他人に対して「男らしい」「男のくせに」などと思った記憶が思い浮かばないのです。

もっとも私のような現象は、これらの要素が完全に内面化され内的な規範として機能しているような人の場合にも生じます。
しかしそのようなケースでは、無自覚なだけでステレオタイプな男性像が体現されることになるため、周囲の人に対してもそのような人物との印象を与えることになります。

ですからもし私が無自覚に典型的とも言える「男らしい」振る舞いをこれまで続けて来たのだとしたら、それ相応の評価を受けているはずです。
ところがこれまでの人生を振り返ってみても、そのような評価を受けた記憶がなく、「性自認とジェンダー観とは、どれほど相関関係があるのか?~性自認の自己分析その1」にも書きましたように、学生時代はむしろ両親から侮蔑的かつ差別的な表現でもって「女のようだ」と蔑まれていました。

このように考えると、私は自分の男性的と考えられている思考パターンや態度に無自覚というよりも、本当にそれらについて関心がない人間のように思えます。

だからでしょうか、時折「男らしさ」云々の言説に出会うと、なぜそこまで「男らしさ」にこだわる必要があるのか疑問に思うのです。

参考文献

藤田尚志、宮野真生子著『性 (愛・性・家族の哲学 第2巻)』、ナカニシヤ出版、2016年

一般の方向けに書かれた書物のため非常に分かりやすく、また参考文献も一部に解説文が添えられているなど充実していますので、セクシュアリティ(セクシャリティ)やジェンダーに関心がある方への入門書してオススメです。

藤田尚志、宮野真生子著『性 (愛・性・家族の哲学 第2巻)』

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