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幸せの量が決まっていることによる迫害恐怖と自己懲罰の心理-自由連想法による自己分析72回目

自己分析のテーマとした心理:

他人との比較への囚われ

自由連想法による自己分析を行う前の思考:

・比較しないと評価できない
・理由付けがないと欲求を自分のものとして受け入れられない
・悪い評価を伝えてしまい相手を傷つけてしまったことへの罪悪感の影響

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

自分が惨めな思いをすれば、相手がそう思わなくて済む
自分は酷い人間だから、そうするのが当然
幸せを望んではいけない そうすると他人を不幸にしてしまう、その分だけ
世の中はすべて競争 生きるか死ぬかの殺し合い
これ以上、犠牲者を出したくない、自分のせいで もうたくさん
他人の悲痛な叫び 自分のせいだ
自分が何か高望みしたから他人に罰が下った
人質 KGB 見せしめ
お前のせいだ すべてお前が仕組んだこと
本当はお前が裁かれなければならないはずなのに
犠牲者に感謝しなければならない、身代わりになってくれたのだから
ひたすら感謝 恨むなんてもっての外

自由連想法による自己分析からの洞察:

今回の自己分析では途中で「もう勘弁してくれ」と言いたくなるほど、60分間を通して自己懲罰的な連想が続きました。

幸せの量が決まっていることによる迫害恐怖

最近自分が幸せな気分になると、そのことで他人に羨望され恨まれる恐怖を意識するようになりましたが、今回の自己分析で明らかにされた無意識の自己懲罰的な空想が、相手からの被害妄想的な迫害恐怖の原因のような気がしてきました。
「世の中の幸せの量は決まっているので、自分が幸せな気分を味わうことは他人の幸せを確実に奪うことになる。だから幸せを奪われた人から恨みを買い復讐されるは当然の報い」
このような無意識の信念が生活の隅々まで影響を与え続け、(自分に幸せな気分を感じることを許さないことで)うつ病を引き起こしかねないような慢性的な抑うつ状態を作り出していたのだと思います。
なにしろ幸せな気分を感じることが同時に恐怖となるのですから、こんなに不幸せなことはありません(@_@;)
なおこのような自己懲罰的な無意識の信念は、後日行ったナラティブセラピーにより最早期の母子関係に原因がある可能性が示唆されました。
関連ブログ:ナラティブセラピーによる自己分析81回目

幸せの量が決まっていることによる迫害(いじめ)

余談ですが、私と同じように「幸せの量が決まっている」との信念を持ちながら、まったく別の衝動に駆られる方もいらっしゃいます。
たしかNHK教育の『土曜かきこみTV』か『中学生日記』のどちらかだったと思うのですが、リスナーの男子中学生から送られてきた次のような内容の投書が紹介されていました。
「世の中の幸せの量は決まっている。だから、いじめで他人を不幸にすることで、自分がその分だけ幸せになる。」
この方がなぜこのような信念を持つにいたったのかは分かりませんが、相手をいじめなどで迫害し続けることでしか幸せを感じることができない(あるいは感じることを自分に許せない)のだとしたら…
常に緊張を強いられ、気の休まる暇のない人生に直面することになり、これはこれで耐え難い苦痛を引き起こすのではないかと思いました。
「幸せ」の心理学的分析本リスト

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