自己分析のきっかけとなった本の文章:
自己対象としての親の果たしている役割は、情動的に調律すること(共感、気持ちを理解すること)であり…問題が起こるのは親の自己愛的な欲求があまりに強いため、乳幼児の情動状態を識別できず、また識別できてもそれに適切に反応できない(共感不全の)場合です。
(コフート理論とその周辺―自己心理学をめぐって P.127-128 一部改変)
本による自己分析からの洞察:
これは自己心理学による親の役割、および精神障害の発生原因についての記述です。この文章を目にしたとき、ある子供の頃の記憶が呼び覚まされました。
母親の共感不全
まだ幼稚園児か小学生の頃だったと思いますが、弟とふざけて「このソーセージ変な味がするね」と笑いながら言ったところ、母親が途端に血相を変え、私たちに牛乳を飲ませてから喉の奥に指を突っ込んで無理やり食べたものを吐かせました。
当時は冗談を言っただけで何でこんな酷い目に遭わされるのか、訳が分かりませんでした。
おそらく当時の母親は、子供の健康を「過剰なまでに」心配することはできても、気持ちを察することはあまり得意ではなかったのかもしれません。そのため冗談であることが理解できなかったのだと思います。
強迫思考による共感不全
当時の母親の病的なまでの健康面への心配は、フジテレビ『モンスターペアレント』で室井滋が演じた母親を連想させます。
室井滋が演じる母親は子供の安全に対して病的といえるほどの強迫思考に駆られているため、子供の身の安全を「過剰に」心配することはできても、子供の気持ちを理解することはできません。
室井滋演じる母親も私の母親も、病的なまでの強迫思考に支配されていることが、子供の気持ちに共感不全を引き起こす一因となっているように思えます。
なお母親の健康に対する病的な強迫思考から生じた共感不全は、嘔吐恐怖症で苦しむ子供の頃の私を死の恐怖へと陥れることにもなりました。
関連ブログ:強迫思考から生じた嘔吐恐怖症への共感不全-自己分析
親の共感不全による喜び・嬉しさの抑圧
私は未だにを喜びや嬉しさを人前で表現することが苦手です。喜びや嬉しさを感じてもすぐに不安(主観的には恥ずかしさ)に襲われ、喜びや嬉しさは抑圧されてしまいます。
このような私の症状には、少なからず子供の頃から繰り返されてきた親による喜び・嬉しさへの共感不全が原因として働いているように思えてなりません。
私の主観では子供の頃から、母親からは後述するような病気や怪我への過剰な心配により、父親からは羨望により、何か楽しいことがありそれを喜びや嬉しさとして表現すると決まって叱られた記憶しかありません。
共感をテーマとした子育て・心理学の本
モンスターペアレント 事例・実例・対策・心理学的分析本