関係性(間主観性)を加味した観点からは、パーソナリティ障害やその元となっている性格は相対的なものに過ぎず、したがって人間関係で生じる病理のすべては関係性障害とさえ言えます。
パーソナリティ障害・性格の相対性と関係性障害 目次:
自己愛性パーソナリティ障害的な性格の父親
父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格への疑問
父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度を見事に引き出す母親
関係性(間主観性)から生じていた父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度
関係性(間主観性)によるパーソナリティ障害・性格態度の相対性と関係性障害
関係性(間主観性)から見た心理カウンセラーの治療態度と転移・逆転移
自己愛性パーソナリティ障害的な性格の父親:
これまで私は父親のことを、自己愛性パーソナリティ障害ないしは自己愛性パーソナリティ障害に近い自己愛障害と推測していました。たとえば次のような父親の印象からです。
・他人を容赦なく蔑む態度
・些細なことで自慢げに息子の私のことを周囲に語る、理想化の影響が示唆される態度
・(特に母親への)家庭内暴力(DV)
しかし自由連想法などによる自己分析を重ねるうちに、そうした父親の印象が多分に母親から繰り返し聞かされた父親の印象の影響を強く受けたものであることに気づいた結果、徐々に父親に対する印象にも変化が生じてきました。
父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格への疑問:
そうした最中、父親に対する「自己愛性パーソナリティ障害ないしは自己愛性パーソナリティ障害に近い自己愛障害」という印象に決定的に変化をもたらす出来事に遭遇しました。それは入院中の父親とその看病に当たる母親の観察から生じました。
入院中、父親は数分おきに「こいつはどうしようもない馬鹿だ」と言わんばかりの調子で母親を罵倒し続けていました。またこうした父親の態度は母親のみならず看護師や他の患者さんにも向けられていたため、病棟スタッフから陰では「お殿様」と揶揄されていたそうです。
これらの出来事は一見、父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格の表れとも解釈できますが、私には一つの疑問が生じていました。
それは父親の尊大な態度が広範囲に見られるとはいえ、決してすべての人に向けられているわけではないという事実に対してです。他の人々に尊大に振舞う父親も主治医や私たち兄弟に対しては決してそのような態度を見せませんでした。入院中の父親が私に向けたのは感謝や気遣いの言葉だけだったと記憶しています。
これは一体どういうことなのでしょう? 父親は人を見て選択的に尊大な態度を表出していたのでしょうか?* それとも間主観的アプローチ(間主観性の働きを強調した自己心理学)や関係精神分析が主張するような関係性(間主観性)の表れなのでしょうか?
そこでこの疑問を晴らすべく父親を看病する母親の様子を観察してみますと…実に興味深い出来事が観察されました。
*もっとも、もし選択的に態度を変えているのだとしますと、それは自己コントロールがしっかりできている証であり、これはこれでパーソナリティ障害で想定される心理状態に反することになると思われます。
父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度を見事に引き出す母親:
一見些細なことで罵倒され続けている母親の様子をしばらく観察していますと、あることに気づかされました。「あっ、それをやったらまた父親が怒る」と思うようなことを母親は繰り返していたのです。
私には(長年連れ添った夫婦ゆえなのでしょうか)「こうしたら父親は必ず怒る」ということを母親が知り尽くしているように思えました。
少なくとも私の目には母親が父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格を知り尽くしており、それを実に見事に引き出しているかのように見えました。
では父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度は、母親をはじめとした他人から意図的に触発(心理的に操作)された結果生じたものであり、その意味で実は父親は犠牲者なのでしょうか?
答えは…これもノーです。
関係性(間主観性)から生じていた父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度:
(上述の母親の印象に反するかもしれませんが)表情を観察した限りでは母親は確信犯的に父親を怒らせていたというよりも、父親の度重なる罵倒や看病に疲れ果てているように見え、したがって父親を怒らせる母親のミスは集中力の低下が原因のように思えました。
ただこれについては例えば躁うつ気質と思われる母親の性格を持ち出し、罪悪感から生じる辛い抑うつ気分を回避するために「無意識に」父親に罪を着せている、と解釈できないこともありません。
しかし百歩譲って、仮に父親の性格を知り尽くした母親にそのようなことができたと仮定しても、たまたま同じ病棟に居合わせた見ず知らずの他人に同じようなことができるとはとても思えませんので、この解釈には無理があるように思えます。
したがって父親の自己愛性パーソナリティ障害的な性格態度の表れは、父親の性格から一方的に生じたものではなく、また他人から(意識的・無意識的であるかにかかわらず)心理的に操作された結果生じたものでもない、つまりお互いの関係性(人間関係の様々な要因)から生じたものと考えられます。
関係性(間主観性)によるパーソナリティ障害・性格態度の相対性と関係性障害:
以上のことから個人の性格や態度とは、一般的に信じられているほど固定されたものではなく、相手の反応次第で「いかようにも変化しうる」相対的なものであり、傾向と呼べる程度のものので、またこのことはパーソナリティ障害についても等しく当てはまると考えられます。
どんなに周囲の人から見て性格に偏りがあるように見えるパーソナリティ障害の人も、つぶさに観察すればそこには必ず例外的な事象が見出され、さらに相手の方の関与の跡も見られるはずです。
人間関係において、お互いに何らかの影響が生じる(言葉を変えれば、お互いに影響を与えあう)ことはむしろ自明の理のことですが、これが精神障害をはじめとした心の病、特にパーソナリティ障害などの重症例の考察の際には、なぜか見落とされてしまう傾向があるようです。
関係性(間主観性)を考慮に入れた場合、人間関係に起因する精神病理の原因が一方にのみ存在することは考えられず、その意味で人間関係から生じる精神病理はすべて関係性(間主観性)の病理(関係性障害)とさえ言えます。
※理論によっては関係性障害を個人の病理とは区別する、言葉を変えれば個人の心理に原因を見出せない、もっぱら関係性(間主観性)のみを原因として生じる病理とする考え方があるようです。
しかし私の考えではそもそも人間関係とはお互いの関与があって初めて成立するものであり*、したがって関与がある限り何らかの個人的な要因が相互に発生することから、この区別はあまり意味がない、もし区別するとしても病理への影響度の比重を示す程度のものでしかないように思えます。
*無反応や無視も立派な関与(反応)です。
関係性(間主観性)から見た転移・逆転移:
以上のような性格・パーソナリティ障害に対する人間関係の影響の考察は、同じく人間関係の一つである心理カウンセリングにおける人間関係(治療関係)、特に心理カウンセラーの治療態度や転移・逆転移と呼ばれる現象に対する精神分析(具体的には自我心理学や対象関係論)の考え方にも疑問を投げかけることとなりました。
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自己心理学の新たな潮流-間主観性心理学 解説本
個人的には丸田俊彦氏の著書が分かりやすくオススメです☆
関係精神分析 解説本