ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療のテーマとした症状:
昨日の自己分析・自己治療(精神障害(嘔吐恐怖症)の子供を持つ家族の恥の心理-自由連想法による自己分析・治療209回)後も時折生じる鼻づまりと側頭部への圧迫感。
昨日の自己分析・自己治療による洞察から、子供の頃の鼻づまりは酷くなると嘔吐恐怖症を引き起こし、さらにそれが家族から(精神障害の子供を持った)という恥をかかされることへの怒りを向けられたことが示唆されました。
そこでゲシュタルト療法による自己治療で、嘔吐恐怖症の症状に一人で苦しむインナーチャイルドの悲しみを受容することで自己受容・自己統合を図りました。
※鼻づまりのような身体症状に対してはフォーカシングやプロセスワーク(プロセス指向心理学・POP)により症状の心理的な意味を探ることもできますが、昨日の自己分析・自己治療から察するに子供の頃の私に欠けていたのは、嘔吐恐怖症に苦しんでいることへの他者の共感的理解(=鏡映自己対象)です。
したがって私のケースの場合に有効な自己治療は、症状の心理的な意味の探求よりも、症状の苦しみの受容・共感的理解を促すゲシュタルト療法のような心理療法だと思われます。
ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療:
(このブログを書き始めたときよりも鼻づまりが酷くなっている)
インナーチャイルド(以下I)「苦しいよ~」
心理カウンセラーとしての私(以下C)「鼻づまり酷くて苦しいんだ」
I「息ができないよ~」
C「息ができないほど苦しいんだね」
I「助けてよ~」
C「どうしたらいい?」
I「抱っこしてくれる?」
C「いいよ」
(イメージの中でインナーチャイルドを膝の上に乗せて抱っこしてあげる)
I(頭を摺り寄せてくる)
C(真っ黒な皮膚をした猿のようなインナーチャイルドを見て、これは家族から見た「醜いアヒルの子」「悪魔の子」のようなイメージなのか?それとも自己嫌悪のイメージなのか?)
I(寝息を立て始める)
C(たったこれだけのことで、この子は安心できるんだ、たったこれだけのことで…でもそれすら与えられなかった…苦しみに対して怒りを向けられた…)
ゲシュタルト療法による自己傾聴・自己治療からの洞察:
たったそれだけのことで…
ゲシュタルト療法の最後の場面で、私の中には心理カウンセラーとしての「抱っこする」というそれだけのことさえ与えられなかったことでの家族(主に親)への激しい憤りと、インナーチャイルドの深い悲しみとが交錯していました。
共感不全による深刻な精神障害(嘔吐恐怖症)
ゲシュタルト療法のプロセスから察するに、苦しいときに親に抱っこしてもらう、それだけで子供は苦しみから解放される。
一方、苦しいときに無視されたり(心理的虐待・ネグレクト)あるいは怒りを向けられたりすることが続くと、子供は共感不全により深刻な精神障害(私の場合は嘔吐恐怖症)に陥りかねないということなのでしょう。
たったそれだけのことで…ゲシュタルト療法を終えてからも、頭の中でこの言葉が何度もリフレインしています…
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