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自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ)

子供の頃よく遊んだ一人で行うサイコロゲーム
モノポリー ウォーゲーム*
一人だと作戦が全部相手に筒抜けになってしまう 隠しておけない
安心感?
予測がつくことの安心感
コントロールできる安心感
強迫性の表れ
*今のようにパソコンが普及する前に存在していた紙の盤の上で行う戦争ゲーム

自由連想法による自己分析からの洞察:

他人にコントロールされる人生への恐怖と被害関係妄想-自由連想法による自己分析46回目で回想された子供の頃の一人遊びの記憶がまた連想されました。
前回の自己分析ではそこから「ゲームを通して自分の人生が他人(母親)にコントロールされている統合失調症の関係妄想にも似た恐怖を表現」していたことが洞察されましたが、今回の自己分析ではゲームの別の側面に注意が向けられたことで新たな洞察を得ました。

予測可能な対戦形ゲームによる安心感

自己洞察のきっかけは、ウォーゲームのようなゲームで一人で遊んでいたことです。
通常ウォーゲームのような対戦形のゲームは相手が何を考えているのか分からないからハラハラするのであり、手の内が全部分かってしまっていては興ざめしてしまうはずです。ところが私はそれを一人で楽しんでいました。
そして相手の作戦が全部分かることにむしろ面白さ、というより安心感を感じていました。つまり相手の作戦を全部把握できていることで安心して、次なる作戦をじっくりと練ることができたのです。

強迫性人格の予測可能な人生による安心感

このようなゲームの楽しみ方は、私の中の強迫性人格の傾向を体現しているように思えます。
強迫性人格傾向の強い方は、究極的には人生のあらゆることをコントロールしようと試みますが、この欲求は「何か得体の知れない存在により自分の人生をコントロールされる恐怖」や「コントロールを失うことで発狂してパニックになり、自分という存在が壊れてしまう恐怖」への防衛から生じていると考えられます。
子供の頃の私のゲーム遊びは、サイコロ運に象徴される他人に人生をコントロールされる恐怖を予測可能(=コントロール可能)な状態を作り出すことで防衛し安心感を得る心理を象徴しているように思えます。
強迫性障害・強迫神経症 治療ガイド

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