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認知の単純化による嘲笑=微笑-自由連想法による自己分析109回目

自己分析のテーマとした症状:

スターバックスイングリッシュブレックファーストを飲んだとき洗面所を使っている女性と目が合う。隣に座っている女性だ。
しかしただ目が合っただけではなく、ジロッと睨まれたような感じが…
(私が何したって言うんだよぉ…)
その女性が席に着いてからというもの、身につまされるような恐怖を感じる(@_@;)

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

ん? 「微笑ましい」と「嘲笑」を混同?
「笑い」で単純化
嘲笑される=相手が喜んでいる
極端な単純化
(しばし呆然…)
自分に呆れる
なんて馬鹿げた勘違いを…
すべてがナラティブセラピーの母親の投影同一視につながっていく
やはり本質なのか?
混乱したコミュニケーションをできるだけ整理するために極端に認知を単純化する必要があった
「本音と建前」への極度の混乱→すっかり被害妄想に
そのことに気づくと…
相手から嘲笑されているとき、惨めな思いと同時に「たとえ自分は惨めでも、少なくても相手を喜ばすことで相手の役に立っている」気がする…

自由連想法による自己分析からの洞察:

自己分析のテーマとした症状からは明らかに「相手の動作すべてを自分への反応と錯覚」する自己愛障害の傾向が見て取れます。
しかし自己愛障害の症状から自由連想するうちに無意識の認知傾向が姿を現しました。

認知の単純化による嘲笑=微笑

現れた認知傾向は「笑い」という共通点で微笑と嘲笑を同じものとして扱うというものでした。私には(無意識の上では)嘲笑されることも喜んでもらうことも、どちらも同じ価値を持つものとして認識されることがあるようです。
このような認知傾向が、腹を立てながらも進んで相手に服従してしまう心理に影響しているような気がします。
おそらくこのような歪んだ認知傾向はナラティブセラピーによる自己分析81回目で洞察された、母親の混乱したコミュニケーションに対処するための極端な認知の単純化の名残だと思われます。

情緒障害?

そうなりますと…発達障害のような脳の機能障害がなくても認知に障害が起こりえる…いえ、もしかしたら嘲笑と認知しているにもかかわらず、情緒の上では微笑と錯覚している、したがって認知障害というよりも情緒障害と呼べる症状なのかもしれません。
情緒障害 治療ガイド

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