自己分析のテーマ:
以前に傾聴を重視した心理療法のセミナーで教わったこと
「傾聴しないとクライエントが依存してしまう」
自由連想法による自己分析:
あのときは「その通り」だと思った
でも傾聴しないとクライエントさんは途端に依存し始めるものなのか?
本当に傾聴されないと、一人で考えることができなくなるのか?
お願い助けてください、とすがり付いてくるとでも言うのか?
そんなにクライエントさんは依存しやすい存在なのか?
少しでも優しい態度を見せられると途端に甘えずに置けなくなるような存在なのか?
少しでも優しい態度を見せると甘える…
これはもしかしたら発言者の信念の表れなのかもしれない
自分や他人に対して「少しでも甘くすると途端に駄目な人間になる」
そんな信念の表れなのかもしれない
自己分析からの洞察:
傾聴しないとクライエントが依存する?
「傾聴しないとクライエントが依存してしまう」一見クライエントさんの主体性を尊重しているように感じられますが…私なりに自己分析してみますと、傾聴に対するこの考えはクライエントさんの主体性を尊重しているというよりも、クライエントさんを主体性の弱い存在と解釈しているようです。
しかし一般に強い見捨てられ不安があると考えられている境界性パーソナリティ障害(BPD・ボーダーライン)の方ならともかく、神経症や神経症傾向のある方が「傾聴されないと誰もが依存してしまう」とはとても思えません。
傾聴は自己対象欲求を満たすための心理療法
私自身は自己心理学の理論が示すように、傾聴の目的はクライエントさんの依存を防ぐためではなく、幼少期に十分には満たされることのなかった自己対象欲求(特に鏡映自己対象欲求)を満たし自己の発達・統合を促すことであるように思えます。
したがって傾聴は、クライエントさんの自己対象欲求(自分を認めて欲しい欲求)の表れと考えられる鏡映自己対象転移の出現によりはじめて徹底されるべきであり、それまでは受容的な態度を保てる限り、どのような心理療法を用いてもかまわないような気がします。
傾聴による心的外傷(トラウマ)
また、クライエントさんが「執拗に」解釈や助言を求めるのは、理想化自己対象転移の表れである可能性もあります。その場合(クライエントさんを依存を防ぐために)傾聴に固執することは、クライエントさんのニーズを無視した非共感的な態度と映り、それ自体が心的外傷(トラウマ)にもなりかねません。
結局、傾聴に徹するするか否かはクライエントさんのニーズ次第、具体的な判断基準としては鏡映自己対象転移(自分を認めて欲しいという強い欲求)の存在の有無ということになると思われます。
傾聴の仕方ガイド本