自己分析・自己治療のテーマ:
ふと思い出された、しかし当時は違和感を覚えた出来事
以前に傾聴を重視した心理カウンセリングのセミナーで進行役の心理カウンセラーに言われたこと
私がシゾイド性格のことに触れたことについて
「シゾイド性格について教えてくれたのね」
自由連想法による自己分析・自己治療:
あのときは、なぜそんなことを言うのか理解できなかった
なんだか体よくあしらわれた、上手く言い包められた感じ
子ども扱いされた感じ
一見、相手の気持ちを汲んだ発言のように聞こえる
しかし実際は違和感を覚えたように、まったく共感になっていない
むしろ子ども扱いされたとして、怒りを感じてすらいる
あの心理カウンセラーの発言の意図は何だったのだろう?
(心理カウンセラーの表情を思い浮かべる)
辟易…いい加減にして頂戴!
そうか心理カウンセラーは私の発言にうんざりしていたのか
それで一刻も早く止めさせるために、あんなことを言ったのか
しかし辟易してしまうほど長々と話していたわけではない
そうか、積み重ねか
空気の読めない(いわゆるKYな)私の度重なる発言に心理カウンセラーの苛立ちが頂点に達していたのか
確かに空気を読めないというよりも、その空気にうんざりしていた
「傾聴って素晴らしい」の空気に
それにしても一見相手の気持ちを汲んだように思える伝え返しが、反対に相手を怒らせることがあるんだ
これは実際の心理カウンセリングでも十分に起こりえる話だ
私のカウンセリングはメールカウンセリングが圧倒的に多い
メールカウンセリングは即座に伝え返さなくて良い分、じっくり時間をかけて、したがってともすれば深読みして伝え返してしまうことも多い
これまでは伝え返しが違っていれば訂正してもらえばいいと思っていた
しかし怒りを感じるほどの共感不全となると大問題だ
それにあのときの私は違和感を感じながらも、それについては何も言えなかった…
だったらクライエントさんだって訂正してくれるとは限らない、いやむしろ期待できないのかもしれない
私の共感不全が問題にされることなく信頼関係が失われていってしまうことも十分に考えられる
もしかしたら途中で音信不通になり中断してしまうメールカウンセリングのいくつかは、私には気づかない共感不全が原因だったのかもしれない
これからはクライエントさんの共感不全のシグナルに、もっともっと敏感にならなければ
自己分析・自己治療からの洞察:
中断したメールカウンセリングにおける共感不全の可能性
自身が体験した違和感を感じる伝え返しから心理カウンセリング、特にメールカウンセリングにおける共感不全の可能性とその危険性についての洞察がありました。
メールカウンセリングのノウハウ解説本