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前回、虐待レベルの厳しい躾を生む親の自己愛的な要因〜『父の逸脱』との共通点の中で、教師から「この子には才能がある」と言われて舞い上がり、子どもに過剰な期待を抱き出す親の心理を自己愛の病理として分析しましたが、その後『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』の著者のセリーヌ・ラファエルさんの父親と私の母との間に、もう一つ共通点があることに気づきました。
それはタイトルに示したように、自己中心的ゆえの共感能力の欠如です。

ですが分析に入る前に前回と同様に先ずはNHKの記事をシェアします。
子どもへの期待 なぜ虐待に?|けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本

親に共感能力が欠如していると、子どもの辛さを少しも理解できない

子どもの辛そうな様子に気づけば、親なら何らかの異常を感じて心配になってもおかしくないでしょうが、ラファエルさんの父親は厳しい態度を改めることはなかったため、最後は警察に通報され有罪判決を受けるまでに至ってしまいました。

その理由は逮捕後の父親の弁明にもある通り、別に大したことではないと思っていたためですが、この父親の認識は「拷問」と称した娘のセリーヌさんとあまりに異なっています。

この父親の、娘の気持ちを少しも理解できない現象は、共感能力の欠如あるいは非共感性と言われています。
他人の気持ちを少しも理解できない、だからこそどんなに残酷なことでも何ら罪の意識を感じることなく平気に行うことができるのです。

なおこの共感能力の欠如は、現在はDSM-5において「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害」へと統合された自閉症やアスペルガー障害など一部の発達障害に該当するケースを除けば、自己愛性の病理と見なされています。

自己愛的な親は自分の身に起こることが何よりも大事

そしてこの自己愛性の病理としての共感能力の欠如が生じる主な要因は、自分の身に起こることはどんなことでも過大視し、その反対に他人の事柄は非常に過小評価する傾向で、自己中心性と呼ばれています。
自己中心性には幾つかの特徴がありますが、この自他の評価基準のあまりに大きな隔たりも自己中心性の特徴の1つです。

この特徴から、自己愛的な親の共感能力の欠如とは、子どもの辛い様子に気づくことができないというよりも、たとえ気づくことができたとしても、その情報を適切に解釈することができない病理と言えます。

ですからラファエルさんの父親の警察での釈明も、罪を逃れるための誤魔化しではなく、自分がなぜ逮捕されたのか本当に不思議でならないと思っていることから生じた可能性があります。

私の母のケース

またラファエルさんの父親ほど極端なものではないケースとして、私の母との出来事も少し紹介しておきます。

成人して何年かした頃に、心理系の本の勧めに従い、母に対して子どもの頃に非常に辛い思いをしていたことを打ち明けたことがありました。
当時の私にとって、これは大変勇気のいる行為だったようで、声だけでなく体の震えが止まらなかった記憶があります。

このように必死の思いで母と対峙したのですが、母の反応は実にあっけないものでした。
ラファエルさんの父親のように最初は「それがどうかしたの?」というような反応を示し、しかし自分が責められているように感じたのか、やがて不快感を露わにしました。
恐らく母親にとっては、私の様子よりも自分が責められていることの方が遥かに重要だったため、このような反応になったのだと考えられます。

またそれから10年近く経ってから「あの時は済まなかった」と言われことがありましたが、すぐに「でも、あの時は仕方がなかった」と自己弁護することも忘れませんでした。

実はこの自己弁護をはじめとした自分は何も悪くないことへの固執も自己愛的な人の特徴です。
ラファエルさんの父親の警察での態度も、まさにこのようなものでした。
次回はこの点について考察します。

追伸)当時は私自身も相当自己愛の病理に侵されていましたので、母だけに問題があったわけではありません。
ですが『父の逸脱』を題材とした一連の分析は、主に親の心理的な問題に焦点を当てていますので、次回以降も同様のスタンスで記述していきます。

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