夢:
チョロQのような模型のレースを観ている。帰りにロードレース用の自転車を買うことにする。Kちゃんからはヨーロッパ製の自転車を薦められる。たしかに良さそうだ。
夢分析を行う前の感想:
Kちゃん…理想化していた人だ。
自由連想法による夢分析・自己治療:
仮装行列のとき、彼の革靴を借りた
サイズが小さくて、痛いのを我慢して履いた
その後自分で買ったローファーも、やはりサイズが小さかった
足が大きいのが嫌だった(26cm)
何でそんなに嫌だったんだろう?
腋毛が生えてくるのも嫌で一時期剃っていた
一度カミソリで切ってしまい大騒ぎした
何でそんなに嫌だったんだろう?
大人になるのが嫌だった?
確かに高校生の頃はそうだった
まともに仕事ができるとは思えなかった
どこか心理的に致命的な欠陥があるような気がしてならなかった
自分には何の能力もないとしか思えなかった
そんな自分に出来る仕事などないと思っていた
役立たず、出来損ない、不良品
完成度の低いブリキのおもちゃ
売れ残りのおもちゃ
お祭りの夜店
ゴム製の昆虫のおもちゃ
蜘蛛とかムカデとか
50円よりも100円の方がよく当たると口車に乗せられた
祖母の北方領土返還を口実とした募金
教材の勧誘
自分も就職したての頃に引っかかった
一家揃って簡単に騙される性格
人に騙されても、騙してはいけない?
不注意から騙されることは問題ではない?
そうかなぁ…
両親や祖母の態度を見ていると、騙そうとしている人間に対して毅然とした態度をとるのは悪いことのように思えてくる
相手の気持ちを踏みにじる態度だと
表向きは「こちらのため」だと言って来る
なるほど、その表向きの(偽りの)気持ちを踏みにじることになるから悪いことなのか
人に利用されても、利用してはいけない
人に利用されることの美徳
便利屋の性格
子供の頃、近所の子供に騙されてカードを取られた
別の子供には落としたカードを拾ってくれる振りをしてやはり取られた
いずれも弟はカンカンに怒っていたが、私は(取られるのは)仕方がないことだと思った
自由連想法による夢分析・自己治療からの洞察:
騙される・利用される美徳
子供の頃から私は「人から騙されても、騙すような人間になってはいけない」と言い聞かされてきました。また(弟を除いた)家族もそのような精神を体現していたのは自由連想法で想起されたとおりです。
たとえ相手が詐欺師のような悪党であっても、相手の(表向きの)好意を無にすることは悪いこととされました。
その結果騙されることになっても騙すよりは遥かにマシであり、騙されたり利用されたとしても、それは相手の役に立ったという点ではむしろ美徳と思われていたようです。
騙される・利用されるのは運が悪かったから
実際、私が騙されたときでも叱責されることもなく「運が悪かった」程度の受け止められ方だったように思います。
弟だけはこのような家族の心理に感化されることなく自由連想法で想起されたように、ある意味当然の怒りを感じていましたが、私の心理は「仕方がない」「運が悪かった」のだから諦めるしかないでした。
このように人から騙され利用されることを美徳とし運が悪かったと諦める心理は、便利屋の性格、より正確には便利屋として都合よく利用されることに気づくことなく、むしろ人の役に立っている喜びさえ感じる心理に結びついているように思えます。
関連ブログ:
便利屋の性格-夢分析による自己分析18回目
便利屋と欲求を満たすことへの罪悪感-自由連想法による自己分析79回目
P.S. 偶然ネットで騙される心理についての興味深い考察を目にしました。
それは見世物小屋を題材として、知らずに騙されると腹が立つが、見世物小屋(手品も同じ)のように騙しと知っていて騙されるのはむしろ気分が良い、だから騙されると知っていて騙されるぐらいの心の余裕がある方が人生がハッピーになるというものでした。
私にはとても考え付かないような騙される心理の発想です。
ただし詐欺師に詐欺と知りつつわざわざ騙される理由が、今の私にはどうしても見当たりません。そもそも見世物小屋や手品というサービスと詐欺行為とは本質的に異なるような気もしますし…
騙される・利用される人の心理 心理学的分析本リスト