自己分析のテーマとした感情体験:
母親への罪悪感
一昨日の抑うつ体験(抑うつ状態への対処による うつ病予防-自己分析)では、重度の抑うつ状態には母親への罪悪感が何らかの形で関係しているような気がしていましたが、今度はその直感の正しさを示唆するような出来事に遭遇しました。
私は普段、仕事(心理カウンセリング)や専門的なテレビの番組を見るときは録画して古い番組から順に見るようにしています。
このときはNHK教育『ここが聞きたい!名医にQ』の「あなたの疑問に答えます!胃がん」を見ようと思いましたが、即座に一昨日の抑うつ状態のことが頭に浮かび*、こんな番組を見ると余計に気が滅入りそう**なので番組を削除しました。
ところがその瞬間、強い罪悪感に襲われたのです…それは母親に対する罪悪感のように感じられました…
*母親の肺がんを知ったことが重度の抑うつ状態に陥った原因だったためです。
**「気が滅入りそう」はあくまで主観的な感覚で、深層心理ではおそらく再び重度の抑うつ状態に陥る恐怖を感じたのだと思います。
自由連想法による自己分析・自己治療:
母親の癌は同じ癌でも肺がん、胃がんとは直接関係がない
それに『きょうの健康』などで癌の症状や治療についての知識はすでにある程度得ている
だから番組を見ずに削除したからといって、それほどの実害はないはず
それにもかかわらず生じた母親への罪悪感
まるで胃がんの番組を削除したことが、母親の肺がんを微塵も心配していない証であるかのような罪悪感
遠くから母親の声が聞こえてきそうな気がする…
「この薄情者!人の気も知らないで!あたしがどれだけ苦しんでると思ってるの!誰のおかげで大きくなれたと思ってるの!この薄情者!」
私はそんなに酷いことをしてしまったのか? いっそのこと病気(うつ病)になって一緒に苦しんだ方が良かったのか?
それにしても母親の言葉は、まるで見返りを期待して子育てをしていたような口ぶりだ
見返り…母親が期待する見返りとは何だろう?
母親の何でも望むままに行動することのような気がする…
でもそんなことをすれば、今度は自分の望みが叶えられなくなってしまう…
ここに葛藤があるわけか…自分の望みvs母親の望み
事後報告…母親に反対されるのが怖いときは、先にことを済ませてから事後報告した
高校生のとき店員に勧められるまま服に大金を使ってしまったときの記憶
怒鳴られるのを覚悟しての電話
何しろそれまでは自分ひとりで服を買うことさえ許されなかったのだから
自分の着せたいものを着せる…私は着せ替え人形か? 母親の人形のような存在だったのか?
「怒鳴られる」との予想に反して母親の態度は優しかった
ん? これまでは「あのときから母親の様子が変わった」と思っていた
でも違う、オドオドしていたからだ
母親に叱られる恐怖で一杯で、オドオドしていたから優しかったのだ
そうでないときは自己主張のたびに頭ごなしに押さえつけた
話の内容ではなく、私の態度によって母親の態度(気持ち)が決まるのか…
すべては内容ではなく私の態度や話し方次第だったんだ…
ん? 母親が私の話の内容にではなく感情的な部分に反応していたということは…共感?
母親は私に共感していたことになるのか??
しかしそれではおかしい…私には共感的に理解されているという感覚が微塵も感じられなかった
むしろ何も理解されていない(話がまったく噛み合わない)と感じられることの方が多い
母親の共感的な努力が、私にはことごとく非共感的に感じられる…これはどういうことなのか?
いや服の件の母親の態度は共感的だったと思う、私は大いに助けられたのだから
問題はそれ以外の、ごく普通の心理状態ときだ
ごく普通の心理状態のときでも、しばしば私が絶望して救いを求めているかのような反応が返ってくるので訳が分からなくなる
しかし私が病気などで落ち込んでいるときには、このような混乱は起こらない
『早期関係性障害―乳幼児期の成り立ちとその変遷を探る』に登場する母親の記述
子供が喜びを示しても無反応…しかし子供が落ち込むと慰めることができる母親
今まで気づかなかったが私の母親の心理状態は『早期関係性障害』に登場する母親に近いのかもしれない…
これだと母親との人間関係で感じていたことの説明が付く、落ち込んでいるときだけ母親の愛情が感じられ、それ以外のときでは混乱してしまうことの
自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:
母親への罪悪感をテーマに自由連想法による自己分析を行ったところ思わぬ展開となりました。このように予測不可能な自己洞察が得られるところも自由連想法の醍醐味です。
母親の共感の特徴と慢性的な抑うつ傾向
今回の自己分析により母親の共感の特徴への洞察が得られました。(特に幼少期の頃の)子供の私に対する母親の反応は、ナラティブセラピーによる自己分析81回目における母親のイメージ(どんな反応にも怒りを顕わにする)とは異なり、私が落ち込んでいる(=抑うつ状態)ときにのみ共感的に接することができるというものでした。
この母親との人間関係の特徴が、慢性的な抑うつ傾向の一つの原因となっているのかもしれません。
関係性障害・間主観性への理解
これまでの自己分析では、どちらかといえば個人の深層心理ばかりがクローズアップされ、人間関係(関係性)についての洞察はあまり得られませんでした。おそらく自由連想法の中で関係性にスポットが当てられたのは今回の自己分析が初めてだと思います。
今回の自己分析で関係性障害や間主観性の概念が、少しずつですが実感を通して理解でき始めてきたような気がします。
関係性障害をテーマとした子育て・心理学の本
自己心理学の新たな潮流-間主観性心理学 解説本