グループ展「作家と本棚」の自由連想法ワークショップで行った自由連想

私説:自由連想法は反射的に連想作業を行うことを意識すれば、驚くほど短時間で自己洞察が得られる

現在10月9日(水)まで開催中の「作家と本棚」というグループ展に参加していますが、そのイベントとして一昨日、フロイトが開発した自由連想法を用いたワークショップを開催しました。
今回ファシリテーションは知人に任せたため、私は技法の説明を終えた後は自分も一参加としてワークショップを体験しました。

自由連想法とは

まず自由連想法とは、精神分析のジグムント・フロイトが神経症の治療のために開発した技法で、心に浮かんで来た事柄(思考、感情、感覚、過去の出来事など)をすべて包み隠さず、治療者である分析家に伝えるというものです。

そしてこのような行為を続けることで、フロイトが無意識と名付けた心の領域に抑圧されていた内容が意識化され、それと同時に神経症的な症状も治るというのが彼の想定でした。

またこの技法は自己分析を目的として一人で行うことも可能ですが、連想作業を行う人が一人である点は共通です。

ワークショップでは集団で自由連想法を実施

今回のワークショップの目標は、本来は連想作業を一人で行う自由連想法を複数人で行い、そこで得られた連想語を幾つか用いて、さらに架空の人物が見た夢を創作するというものでした。
ですが自由連想法に慣れていただくために、まず始めに一人で10分ほど自由連想法を行いました。

私自身の自由連想で、反射的に連想を行うことを意識

そしてそこで私自身の身に予想外のことが起きました。これまでの自由連想法では、思いも寄らない連想が浮かび上がって来るまでに最低30分はかかりましたが、今回はたった10分でそれが実現したのです。

その要因は、思い浮かんできた連想を反射的に書き留めることを、これまで以上に強く意識したことです。
そのため連想を始めて暫くは、取り止めのない言葉が何度も繰り返され、その間は非常に退屈なものでした。
その様子を伝えるために、少々長くなりますが最初の数分間の連想を再現します。

作家と本棚 ネタ 寝た 眠った よく眠った でもない でも眠くない そうでもない 何となく 分からない 信じられない 本当? ウソ? やっぱり もしかして そうでもない なくもない 何となく イヤ そうでもない あー やっぱり 嬉しい 悲しい 切ない 悲しい 何か蘇る感じ

このように最初のうちは、言葉の羅列のような連想が続き、また「そうでもない」など同じ連想語が繰り返し出て来るため、深層心理に少しも近づいていない気がしていました。
ところが最後に「何か蘇る感じ」とあるように、この辺りからまだハッキリとは自覚できませんが、心の中にこれまでとは異なる感覚が生じて来ているのが感じられました。

最初の段階では、辛い記憶が蘇ることへの抵抗が働く

続いての連想がこちらです。

子供の頃の記憶 押し留めてる 目頭がウルウル 沈黙 アイス 落としたら 親戚のばあちゃんの家 漬物の匂い 懐かしい バイト するならタウンワーク フットワーク アート引越センター アリさんの引越センター アーツ千代田

このように前半では感情を伴った子供の頃の記憶が蘇って来ていますが、後半になるとまた言葉遊びのようなものに戻ってしまっています。
これは恐らく辛い記憶の想起に対して、心理的な抵抗が働いたからではないかと考えられます。

心理的抵抗が生じても連想作業を続けることで、自己洞察へと導かれる

学校 弁当 大き過ぎる 量が多過ぎて 少食なのに 原っぱに捨てる 罪悪感 腐った臭い それが毎日 対応に困った 友人の家 毎日ではもたない 無理矢理食べてた? 美味しい? と思ったことがない 義務でこなす感じ 辛かった 悪いことをしていた

しかし言葉遊びの中でも「学校」が連想されたことで、それにまつわる高校時代の辛い出来事が思い出されると、今度は堰を切ったように記憶が蘇って行きました。

ちなみにここで展開されている連想語は、弁当を残して帰ると母から相当厳しく叱られたため、それを誤魔化すために帰宅途中の原っぱに捨てたり、あるいは飲食点を経営している友人の家に頼んで捨てさせてもらったことなどの記憶ですが、これらの記憶は以前の自由連想法を用いた自己分析の際にも想起されました。
しかし今回の連想が以前と異なるのは次の点です。

当時の私の食欲がコンビニの弁当を完食できないほどか細いものであったにも関わらず、母が用意した弁当箱は食べ盛りの男子学生用の大きなサイズのものでした。
したがってその大きなサイズの弁当を完食することは、至難の業だったのではないかと考えられます。

しかし残すと母から叱責されますし、そうかと言ってこっそり捨てることを繰り返すと、罪の意識に苛まれることになります。
このため相当無理して完食していたはずです。さらに今回の連想には出て来ませんでしたが、弁当はいつも友人二人と一緒に食べていましたので、その友人から変に思われないように気をつけねばならないという気苦労も加わっていました。

以上の考察から、当時の私にとって昼休みとは、友人との楽しい語らいの時間ということ以上に、困難な義務を果たさねばならない苦痛な時間でした。
このため連想にあるように、弁当を美味しく感じた記憶が皆無なのではないかと考えられます。

また私の自由連想を振り返ってみると、仮に心理的な抵抗が働いたとしても、そのまま辛抱強く連想作業を続けることで、やがて貴重な自己洞察へと至る可能性があるのではないかと考えられます。

自由連想法 参考文献

フロイト著『フロイト著作集9 技法・症例篇』、人文書院、1983年

追伸) 明日9日(水)まで開催中の展示では、入り口右手の小展示室で、簡易的に自由連想法を体験していただけるスタイルの作品を展示しております。
もしお時間がございましたら、両国のART TRACE GALLERYまで足をお運びいただけますと幸いです。

ART TRACE GALLERY「作家と本棚」展示案内

グループ展「作家と本棚」の自由連想法ワークショップで行った自由連想
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